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うつからのキセキ☆

【憎んでいた人を許せるようになる】

自己肯定感を高めるメリット№4 ~心身に余裕が出る④~

自身は、長年憎んでいた人がいる。

相手のプライバシーもあるので、

どういう関係性の人で、相手のどんなところに憎しみを抱いていたか?

という具体的なことには触れないでおこうと想う。

相手のことをどれだけ憎んでいたか?

表現するのを少しためらいもするが、

他者受容が自己受容に繋がり、

自己受容が他者受容に繋がり、

(順番は上下逆でも同じ。きっかけ次第と考える。)

「こんなにも憎んでいた人を、許せるんだ!」ということ、

お伝えしたいので、勇気をもってお伝えしたい。

 

自身は相手への憎しみが1番ピークだった頃、

相手が、視界に入るのも嫌だし、

半径1メートル以内に入るのも嫌だった。

やむを得ず半径1メートル以内に入ってしまった時などは、

体全体に虫唾が走る感覚で、拒絶感でいっぱいになった。

この世から消えてしまえばいいのにと想ったこともある。

相手のことを許せている今、

相手にはもちろんのこと、相手のご家族や、

相手のことを大切に想っている人に対しては、

「この世から消えてしまえばいい」なんて思ってしまって、

本当に申し訳なかったと想う。

がしかし、相手への憎しみが強すぎて、

こういう考えがストップできなかった自分も、

それなりに苦しんだし、(というかかなり苦しんだし)

許してあげようと想う。

 

ここまで憎んでいた相手を許すことができ、

今は、普通に話ができる関係性に戻っている。

その要因の大きな一つが自己受容と他者受容である。

 

自身は、およそ30年間誰にも話せなかった中学の苦い経験があった。

何がきっかけだったのかは覚えていないが、

初めて話しを聞いてもらおうと想い、実際に聴いてもらった相手がいた。

それは、約7年前出会ったばかりの、現マイメンター。

当時は自身が参加していた就労支援セミナーのチーフ講師だった。

中学の時の苦い経験というのは、

ある先生が、クラスメイト全員の前で、

自身の発言に対して、「その考え方はおかしい。間違っている。」と

その発言の理由もろくに聞かずいきなり、全否定されたことだった。

私は、目の前が真っ白になり、その後は、もう恥ずかしくて恥ずかしくて、

いてもたってもいられなくなったのを覚えている。

その経験を現在のマイメンターに話した。

マイメンターは

「確かにその先生の言動は酷いし、傷つくよね。

その30年前の経験は現在にも影響しているよね。」と。

そこでこんなアドバイスをくれた。

「その先生の行為は許してはいけない。

でもその先生の存在は許そう。」と・・・。

そしてさらに、「私に向かって、私は〇〇先生の存在を許します。

と何度か繰り返していってみて。」と・・・。

私は、1回目のそれを言葉にするのがなかなかできなかった。

やっとの思いで1回目のその言葉を口にすると、2回目、3回目は、

少しづつスムーズに言えるようになってきた。

自身はあの時、自身の中に、

「行為は許してはいけない。でも、存在は許そう。」

というマインドがセットされた。

それ以来、

「行為は許してはいけない。でも、存在は許そう。」

この言葉が、

日常、プライベートでも職場でも、他人に対しても、

自分に対しても、家族に対しても活躍した。

そして、本当に本当に、徐々に徐々に、少しずつ少しずつ、

ものすごく憎んでいた相手に対しても、

もちろん自身が傷ついた相手の言動は決して許していないが、

その存在は許せるようになっていった。

顔も見るのも嫌でなくなり、

近くにいるのも嫌でなくなり、

会話をするのも嫌でなくなり、

気が付いたら、出会った頃の仲の良い関係性に戻っていた。

 

憎しみの感情が無いというのは、

本当に楽だし、それだけでも幸福感を覚える。

そして、

「あれだけ憎んでいた人を許せるようになった」

という経験は自信へも繋がり、

ちょっとうぬぼれも入っているが、

私は許容範囲が広いのよ~オーラ(心に余裕がある感)を、

周りにアピールできるくらいになっている。(笑)

 

最後にもう一度、ここだけはしっかり押さえて欲しいポイントをお伝えする。

私が許したのは、「存在」であって、「言動」ではない。ということだ。

人としてやってはいけないことは無数に存在する。

だから法律だって存在するのだ。

私は、憎んでいた相手の「存在」を許した。

決して、私が相手からされて傷ついた「言動」は許していない。

そして私は、自分が受けて傷ついた「言動」を人にしないように心がけたい。

 

最後までお読みいただきありがとうございます。

 

2022年9月15日

【感情のマネジメントがしやすくなる】

自己肯定感を高めるメリット№4 ~心身に余裕が出る③~

自己肯定感を高めるメリットは数えきれないくらい存在するが、

自身が最もこれが得られて良かった!!!と想うことの一つに、

今日のタイトル「感情のマネジメント」がある。

正確に言うと、

「感情のマネジメント」と「自己肯定感UP」の相乗効果により、

それぞれのレベルが引きあがって行った

と言った方がしっくり感があるが・・・。

自己肯定感が上がると感情のマネジメントがしやすくなり、

感情のマネジメントができると「自分はやればできる!」と

自信につながり、自己肯定感がUPする。

そんなサイクルを繰り返している。

 

感情のマネジメントがしやすくなった要因を考えてみた。

大きく以下の3つだ。

①自己肯定感が上がることでベースの感情がプラス感情のことが多くなった

②自己肯定感が高まると自分の負の感情とも向き合えるようになるから

③自己肯定感を高める要因に感情のマネジメントがあるということに気付いたから

 

①自己肯定感が上がることでベースの感情がプラス感情のことが多くなった

②自己肯定感が高まると自分の負の感情とも向き合えるようになるから

についての理由は以下の通りと考える。

自己否定マインドだった頃の自身は、とにかくネガティブな感情でいることが多かった。イライラしたり、落ち込んだり、どうせ私なんて・・・といじけたり。

ネガティブな時にネガティブなことが起きると、

気持ちに余裕がなくてつい感情が爆発するということはないだろうか?

例えば、イライラしている時に、子供が牛乳をこぼす。

つい「もっと気を付けなさい!!」と声を荒げてしまうなど・・・。

ネガティブな感情でいる割合が多ければ多いほど、

何か起きた時に感情的になってしまう確率も当然上がってしまう。

しかし、自己肯定感が上がると、人にどう想われるか気にしたり、自分のダメな所を隠そうと変な所にエネルギーを使ったり、本音を言うことができずにストレスを溜めることが激減するので、それに比例してイライラしたり、ネガティブな感情でいることも激減する。さらに自分に自信が持てるようになってくると、ベースの感情がポジティブなことが多いので、子供が牛乳をこぼしたとしても、一瞬は「余計な仕事が増える!」と

イラっとするかもしれないが、イラっとした自分を一旦冷静に観て、そのイラっとした感情にジャッジをせず(ジャッジをしないというのは慣れが必要かも・・・)

子供にはイライラを見せないようにしようとか、

声を荒げないで、優しく諭そうとかという選択肢を持つことができる。

 

③自己肯定感を高める要因に感情のマネジメントがあるということに気付いたから

日常で、ネガティブな感情を抱いた時の、

ネガティブな感情を客観視する ➡ ジャッジをしないで一旦受け止める ➡

行動や考え方を選ぶ

という一連の作業ができると、自分に対する自己成長感を感じ、

さらに感情のマネジメントをできるようになろう!

そのために、もっと自分がご機嫌でいる状態をつくるようにしよう!

とポジティブ相乗効果が生まれる。

 

これが、自身が考える、自己肯定感と感情のマネジメントの相関関係だ。

最後までお読みいただきありがとうございます。

 

2022年9月14日

【体調が良い】

自己肯定感を高めるメリット№4 ~心身に余裕が出る②~

前置きで言っておきたいが、

全てにおいて「病は気から」が通用するのであれば、

この世に病気はここまで沢山無いと想うのであり、

病気で苦しんでいらっしゃる方の心に問題があるということを

言いたいわけではないということはお伝えしておきたい。

今日の投稿はあくまで自身の感覚である。

 

「心と体は繋がっている。」「病は気から。」

これを体感、実感し、

理解できたことは(腑に落とせたことは)

自身にとって本当に大きい。

体調が悪いと元気が出ない、意欲が湧かない、

ということはわりとわかりやすかったので、

小さい頃から理解していたと想う。

しかし、「病は気から。」ということわざは

世間でよく使われていたにもかかわらず、

どれだけ、心の状態が体調に影響を与えているか?

ということに関しては考えが甘かった。

軽ーく考えていた。と反省しているのである。

 

自身は、マインドについて学び、

マインドセット(心の持ち方)に

意識を向け生活するようになる前までは、

とにかく、いつも体調が悪かった。(特に30代)

先日の投稿にも書いたが、

とにかくいつも鉛のように体が重いのは当たり前で、

他の症状として、

疲れやすい、(というかいつも疲れている)

夏でも手足が冷たい、

皮膚疾患が治らない、

胃腸の調子が悪いことが日常茶飯事(逆流性食道炎も数回やった)、

肺炎を数回経験するなど、体調が良い時が無かった。

しかし、今は、これらの症状が全て無いかと言ったらそうではないが、

その割合はかなり減っている。

感覚的には1年のうちで99%体調が悪かったのが、

現在は1年のうちで8~9割が体調が良いと感じている。

たとえ、上記のような症状が出たとしても、軽いし、回復も早い。

(例えば一度胃の調子が悪くなると1週間はダメだったのが、

今は1~2日で治ってしまうとか。

疲れも、早く寝る日を1~2日設ければ疲れがとれるとか。)

 

体調が良い要因の一つに自己肯定感があると自身は考える。

自己肯定感が高まると、心の土台がしっかりする。

と同時に、底上げもする。

従って、昔はもともとの心の状態レベルが1に満たなかったのが、

今は、ベースがレベル8~9なので、体調が良いと感じる日もそれに比例して、

8~9割なのだと考える。

そうは言っても人は揺らぐものなので、

(心の土台がしっかりしているので心の揺らぎも少ないと考えるが・・・)

例えば、体調が悪かったり、寝不足だったり、仕事が忙しかったり、

心的ストレス、感情的に揺さぶられる辛い出来事があったとしても、

もともとのレベルが8~9なので、

下がっても心の状態レベルは5~6以上は保っている感じがある。

しかし、心の状態レベルが1未満だった頃は、

なにかさらに体調が悪くなることや心的ストレスなどを受けると、

それに耐えられなくなって、

肺炎だの、逆流性食道炎など、

寝込むレベルの病気になってしまった。と捉えている。

 

心の状態が良く、ベースが「気分が良い」だと、

体の方も、ベースが「体調が良い」と言うようになるのではないか?

例え体調が悪くても、心のベースがしっかりしていると、

ダメージも少なく、ダメージを受けてももともとの貯金があるので、

回復が早かったり、軽度で済むのではないだろうか?

自身はそう分析する。

 

最後までお読みいただきありがとうございます。

 

2022年9月13日

 

【妄想にもメリットがある】

【妄想にもメリットがある】

ここ10日くらい、

自己肯定感を高めるメリットを書き続けていたが、

今日はちょっと箸休め。

自身の妄想と妄想することのメリットについて書こうと想う。

 

自身は妄想が好きだ。がしかし、

妄想が好きだから敢えて「妄想しよう!!」といってするのではなく、

1人で居るときなど、自然と考え事をしていることが多いのだが、

気が付くと考え事が妄想に発展しているということが起きていることが多い。

 

自身はよく、自身の前世について妄想をする。

自身は輪廻を信じており、前世があることも信じている。

信じる信じないば別として、

少なくとも前世が(来世も)あると想っていた方が

合理的であると自身は捉えている。

それは、現世での経験だけでは、

理由が解決できないことが沢山あるからだ。

だから、記憶は無いにしろ、

前世でこういう経験をしたから、

現世でのこういう経験に繋がっていて、

もし、来世でまた同じ経験をしたくないのであれば、

現世でこの経験をしている意味と向き合って、しっかり解消しよう。

もし、その問題と今は向き合いたくないのであれば、

最悪、来世へこの宿題を持ちこしてもいいか。

など考えの幅が広がるからだ。

そうすることで、気持ちに余裕ができたり、

今現実に起きていることをちょっと違った角度、

離れたところから観ることができたり、

いい意味での諦めができたり、

逆に意欲が湧いたりということがあるからだ。

わからない理由について、くよくよ考えることも減る。

単純に妄想自体(好きなようにストーリーを創ること)が面白い。

といったメリットもある。

 

具体例を挙げると、

私にはお互いにどうしても嫌い合っているAさん(仮名)がいる。

私が生理的にAさんを受け入れられないのと同じに、

Aさんも私のことが相当嫌いらしい。

Aさんとは、数回トラブルはあったが、

なんでここまで生理的に受け付けられないほど嫌いなのかが、

本当によくわからない。

Aさんの良いところを見ようとか、

コミュニケーションとる努力をしたりとかしたにもかかわらずだ。

自分の努力が報われない時、

自分が嫌われている虚しさを感じた時、

(自分も嫌っているからお互い様なのだが・・・)

もうこれは、現世だけに理由があるわけではない、

きっと前世にさかのぼるに違いないと妄想が始まるのである。

「きっと、Aさんとは前世で相当お互いを嫌い合う何かがあったに違いない。

それを、今世でも引き継いでいるのだ。

今世でもAさんから何かを学びとる必要があるから出会ったのだ。

だから、来世でAさんと出会わなくて済むようにするには、

今世でAさんから学び尽くさねばならない。」と妄想するであったり・・・。

 

自身は、何故か自身の絵が下手なことに非常に強いコンプレックスを感じている。

これは、小学生位のときからそうで、誰かに絵が下手だ!と笑われたり、

評価された経験もないのに、本当に本当に不思議なのだ。

自身は、他のことでも不思議な感覚がある。

全てのヨーロッパに旅行に行きたいと想う中で、

何故かフランスだけはちょっと行くのに抵抗がある感覚があったり、

モンサンミッシェルは別!行きたい!)

絵を観ることは好きなのに、何故か中世ヨーロッパの絵を観ると拒絶感や悲しい思いがが湧いてきたり・・・。

それを繋ぎ合わせて、

「きっと中世のフランスで、売れない画家をやっていたんだ。

自分の絵をバカにされたり、身近な者(学友)がどんどん有名になっていくのに対して劣等感を抱いたりして、不遇の画家のまま生涯を閉じたに違いない。」

と妄想するであったり・・・。

 

自身は、こういう感覚って大事だと思っているし、

案外、本当に合っていることが多いかもしれない、

(本当に前世であったことの記憶を手繰り寄せているのかもしれない)

とも想うのである。

 

最後までお読みいただきありがとうございます。

 

2022年9月12日

 

【鉛のような体の重さは何だったのか?】

自己肯定感を高めるメリット№4 ~心身に余裕が出る①~

自身は30代半ば~40代前半まで、

精神科に通院していた。

うつ状態の再発だった。

20代の頃1度うつになった時は、

働けなくなるまで我慢してしまい、

診断書を貰って1か月会社を病欠した。

その苦い経験から、2回目のうつの時は、

それより少し前の段階で精神科の門をたたいたが、

逆流性食道炎も併発するなど、

それでもかなり心身ともにへとへとの所まで来ていた。

従って、その時勤めていたパートをやめ、

ちょっとだけ休養期間を挟み、すぐに新しいパートに行き出した。

20代の時に味わったうつの時よりは症状が軽かったため、

月に1度の通院でよかったし、

(調子が悪い時は間に診察を入れてもらうこともあったが・・・)

かろうじて、働くことも出来ていた。

しかし、「心身ともに健全だ。」と想えるまでに回復した、

今の自身の健康状態を基準として、当時の自身を振り返ると、

「症状が軽かった」と想っていたのは、

かなりの誤差があったんだと想うのである。

 

確かに、うつが酷い時に起こりやすい、

過呼吸」や「不安で不安でいてもたってもいられなくなる」

というような症状自体は1度目のうつの時より少なかった気がする。

だから、薬も少なかったし、病院を訪れる頻度も少なくて良かったのだろう。

しかし、「健全」という言葉からは、かなりかけ離れた体調の悪さだったんだと、

「健全」を取り戻した今だからこそわかる。

 

とにかく、精神科に通院していた30代半ば~40代前半までは、

体が重くて重くて辛かった。

ここでは、体重の重さを言っているわけではない。(当時の体重は40キロ前後)

とにかく、朝起きた時点で、重力に逆らえないような、

自分の体が鉛のような何とも表現しがたい重さがあるのだ。

それが毎日だったから、それが当たり前のようにもなっていたし、

「きっと年齢のせい」だとか、

「きっと私だけじゃない。年を取れば誰だって多かれ少なかれ感じているはず。

表に出さずに頑張っているんだ。」

とか思っていた。

しかしその考えは間違っていた。

50歳を迎えた今の方が、

はるかにはるかに体が軽いし、(当時より体重は増えたが(笑))

実際フットワークも軽い。

 

何故だろう?

心の重さが、体の重さに比例していたのだ。

 

病は気から

とか

心と体は繋がっている

とか

昔から言われているし、

万国共通で言われていることでもあるが、

これが、原理原則なんだなということを、

身を持って証明した気がする。

 

ここまで苦しい思いをしなきゃわからない自分が、

ストイックすぎて「あほやん」とちょっと滑稽に想えてくる。(笑)

 

最後までお読みいただきありがとうございます。

 

2022年9月11日

 

 

 

【80%が味方になる】

自己肯定感を高めるメリット№3 ~コミュニケーション能力の向上④~

皆さんは、宇宙の法則、自然の摂理と言われるものの中に、

2:6:2の法則

があるのをご存じだろうか?

この法則を人間関係にあてはめると、

2割の人がどんな時も自分のことを好きていてくれる人

6割の人が自分のことを好きでも嫌いでもない人

2割の人がどんな時も自分を嫌ってくる人

となるのだそうだ。

 

自身がこの法則の存在を教えてもらったのはマイメンター。

確か、出会って間もない頃だったと記憶しているので、

7年くらい前のことだったであろうか?

この法則がなるほどなと納得できるようになってきた、

今日この頃である。

 

昨日の投稿の中で、

「自分を大事に扱うようになると、

自分を大事に扱ってくれる人が周りに増えるが、

自分をぞんざいに扱っている時期でも、

自分を大事に扱ってくれる人はいた。」

と記載した。

自分をぞんざいに扱っている時期でも自分を大事に扱ってくれる人、

これが、2割の「どんな時も自分のことを好きていてくれる人」

であったに違いないと自身は捉えている。

 

しかし、自分のことをぞんざいに扱っていた当時の自身は、

感覚的に「どんな時も自分のことを好きていてくれる人」の存在を

1割程度しか感じ取れていなかったように想う。

これは、あくまでも主観だが、

自分のことをあまりにもぞんざいに扱っていると、

自分の心がすさんでしまい、(要するに自己肯定感が下がってしまい)

本当は2割存在する「どんな時も自分のことを好きていてくれる人」の存在を

半分程度にしか感じ取れない又は、

気付けない状態になっていたのではないか?

と考えている。

 

自分で言うのもなんだが、

当時の自身よりはかなり自己肯定感が上がった現在の自身はどうか?

2割の「どんな時も自分のことを好きていてくれる人」の存在を

きちんと実感できるどころか、

6割の「どちらでもない人」からも好かれているとまではいかないが、

いざという時は、力になってもらえる存在だと想えるようになったのである。

さらに、残りの2割「どんな時も自分を嫌ってくる人」に対しても、

いい意味で諦めができ、まだまだ道半ばではあるが、

適度な距離を取れる(境界線を引ける)ようになってきたのである。

自分の味方として感じ取れる人が1割しかいなかった当時のすさんだ自分からの、

飛躍的進歩である。

 

この飛躍のプロセスは以下の通りと考察する。

 

自分を大事にすると決める。

自己肯定感が上がってくる。

もともと居た2割の、「どんな時も自分を好きでいてくれる人」

「自分のことを大事に扱ってくれる人」との交流が増え、

その人たちの存在をしっかり実感できるようになる。

ありがたいと想えるようになる。

自分もその人たちを大事にしたくなり、

陰ながらでもその人たちを応援したり、

実際に、頼ってもらったりして、

その人達の役に立っていることに喜びを感じる。

さらに自己肯定感が上がる。

もともと居た2割の「自分のことを好きでいてくれる人」は

何となくわかりやすいし、最初から話しやすかったりもするが、

6割の「どちらでもない人」は正直話しかけてみないとわからなかったり、

話しかけづらかったりするが、勇気を出して、

そういう人たちとも、

お互いに力になれるような交流が持てるようになっていく。

さらに自己肯定感が上がる。

明らかに、「嫌われている人」にも、

必要な時は、きちんと自分の気持ちや意志を言えるようになってくる。

(これはまだまだ道半ばであるが、できるだけ頑張っている。)

好きでも嫌いでもない6割の人を、

「好き寄り」な意識に持っていける。

 

上記プロセスは職場での自身をイメージして書いているが、

それにしても職場は、

お給料をいただきながら、自己成長させてもらえるなんて、

なんとありがたいんだろうと改めて想うのである。

 

 

最後までお読みいただきありがとうございます。

 

2022年9月10日

【自分を大事にしてくれる人との交流が増える】

自己肯定感を高めるメリット№3 ~コミュニケーション能力の向上③~

皆さんは自分を大事にするとは、

具体的にどういうことを定義なさるだろうか?

自身は、自分を大事にするという定義を、

自分の心の声(本音、本心)に従うこととしている。

これは、自身が約7年前、自分を大事にする!と決意し、

最初は手探りで、自分を大事にする!を始め、のちに、

マイメンターから本格的に、

マインドについて学び、マインドセットコーチングを受けながら、

自分を大事にする!を実践していく中でたどり着いた定義

(腑に落とせたこと)である。

会社勤めや、子育て中など、

なかなかそうもいかないことも多いと想うが、

自分の心の声に耳を傾けるという意識を持っているだけでも、

空いた時間にちょっとでも自分がしたいことを自分にさせてあげようとか、

日々忙しい中でも、敢えて、自分のための時間を創ろうとか、

週末は、1日いや半日だけでもいいから羽を伸ばす時間を創ろうだとか、

そういう意識に変化していくと想うのである。実際、自身はそうだった。

 

自分を大事にすることの中には、上記のように、

自分を楽しませる、癒す、休養をとるということもあるが、

時には勇気のいること、逃げたいこともある。

例えば、昨日の投稿にも書いたように、

勇気を出して「NO!」と言うであるとか・・・。

 

とにもかくにも、自分の心の声を聴き、

自分を大事にすると、

自分(私)のことを大事にしてくれる人が周りに増える。

自分(私)のことを大事にしてくれるということは、

その人自身も自分のことを大事にすることができるのであろう。

「類は友をよぶ」ということわざがあるように、

自分を大事にすると、自分自身のことを大事にしている人を引き寄せ、

自分自身を大事にできる人は、相手のことも大事にできる人だから、

結果的に、私のことも大切に扱ってくれる、そういう人が周りに増えると考察する。

まさに、インサイドアウト(自分の内側が外側に影響している)とも捉えている。

 

今振り返ると、

自分自身をぞんざいに扱っていた時期も、

自分のことを大切にしてくれていた人はいた。

しかし、自分が自分のことを大事にしていないから、

自分がその人たちから大事にされているということを感じる力が少なくなっていた。

鈍感になっていた。

それも、自分を大事にしてくれる人と交流が持てない原因の一つであった

と今更ながら感じている。

 

自分を大事にすると自分を大事にしてくれる人との交流が増える。

自分を大事にしてくれる人との交流が増えると自己肯定感が上がる。

自己肯定感が上がるとさらに自分を大事にできる。

そして、また、自分を大事にしてくれる人との交流だったり、

出会いが増える・・・・

いい意味でエンドレスだな~

だれもがこうなれば、世の中もっと平和なのにな~

とふと思う。

 

最後までお読みいただきありがとうございます。

 

2022年9月9日