光り輝き続けるために✨

うつからのキセキ☆

【自分を偽っている時、無理させている時。】

【自分を偽っている時、無理させている時。】

自分を偽っている時、プラスな感情は得られない。

私は、自身の経験上そう感じる。

だから、自分を偽る行為、自分に無理をさせる行為、

をできるだけ避けねばならないとも感じている。

 

しかし、

自分を偽っている、

自分に無理をさせていると

自覚があればまだいいのだが、

案外自覚がないことがあるのではないだろうか?

自覚がないと避けようにも避けられない。

 

どういう時に、

自分を偽ってしまうか?

無理をさせてしまうか?

を考えた時に、

自己受容できてない時

が多いのではないかと自身は考える。

自分の理想とする姿と、

あまりに違い過ぎる現状を目の当たりにしたとき、

それを直視できなくて、

見栄を張ったり、誤魔化したり、できる風を装ったりを、

無意識にしていることって案外あるのではないだろうか?

 

過去に、ビジネスマナーで苦い経験がある。

40歳も過ぎると、

ビジネスマナーは知ってて当たり前、できてて当たり前、

そうでなければ恥ずかしいと無意識下で想っていたのだと想う。

だから、講習会でちょっと学んだ程度の知識しかないのに、

想った以上に、ビジネスマナーを知らない、できていない自分を、

直視しないでいた。

そして、独りよがりのやり方で、

ビジネスマナーもどきを演じてしまい、

職場で指摘はされなかったものの、

上司に対して失礼なことをしてしまっていたんだな。

とか、

報連相」の基本がそもそもできていなかったんだな。

とか、

後になって、そういう自分に気付いた。

 

私は、たまたま、マイメンターが、

それに気付かせてくださったので、

自分の現状を直視することができたのだが、

そうでなければ、ほんとは何となく、

不安に感じていたり、ほんとはこれで大丈夫?

と思っていることを、直視しないで、

ごまかしてしまっていることがあるのではないだろうか?

 

自分の現状を直視するには、何が必要であろうか?

もちろん、人からのフィードバックは大きなきっかけの一つだ。

しかし、フィードバックはなかなか受けられるものでもない。

 

自ら気付くためには?

 

周囲と比較するのはどうだろう。

 

もちろん、そこに評価はせず、

自分の現状を知るという目的のみで。

 

評価はせず、といっても、

他人と比較すると、想っていた以上に、

できなかったり、レベルが低い自分を目の当たりにして、

ショックを受けることもあるかもしれないが、

それでも直視して、現状を受け入れない限り、

自分をより良い状態へ導くことはできない。

 

直視するには何が必要か?

 

自己肯定感

 

自己肯定感バカの私は結局そこに繋がってしまう(笑)

 

最後までお読みいただきありがとうございます。

 

2022年5月18日

【「仕事を楽しむ」という意味】

【「仕事を楽しむ」という意味】

有言不実行な自分を反省し、

やんなきゃと想っていたことに、

色々と理由をつけて、

先延ばしになっていたことに手をつけた。

 

その「やんなきゃ」と想っていたこととは、

自分がやりたい!!と想うことをやらせてもらっている以上、

付随してくる作業だ。

自分がやりたいことをやるには、

やんなきゃいけないこともある。

頭ではわかっていても、

そのやんなきゃいけないことが、

自分がやりさえすればさくさくと進む、

完結するということでもないので、

(場合によっては人へ依頼しないと先に進めないということもあるということ)

めんどくさそう、時間がかかりそうと

やる前から、暗ーく、重ーい気持ちになっていた。

 

よく、「仕事を楽しもう!」なんていうけど、

いったいこの仕事で何を楽しめば良いんだ?

 

わからなかった。

 

しかし、私を行動へと進めたのは、感情だ。

この仕事が終わった後の爽快感を想像したのだ。

今まで、頭の片隅でずっと気になっていたことが片付き、

しかも、容易には片付きそうもないものが片付いた時のことを想像したら、

気持ちいいだろうな~。爽快だろうな~。とめっちゃイメージした。

そしたらだんだんやる気が湧いてきた。

ここは、日頃の学び(一般社団法人MindLaboや読書など)が役に立っている。

 

そして、やり方も、日頃の学びを参考に、工夫した。

やらなきゃいけないことは、大きく4つ。

優先順位を決め、まずは、1つを進めることとした。

そして、目標を小さく設定した、とにかくできるところまで、

その1つのことだけを進ればいいという目標だ。

今まで手をつけていなかったんだから、

とにかく手をつけさえすればいい。

この低いハードルが功を奏した。

1歩が簡単に踏み出せたのだ。

そしてやっていくうちに、だんだん乗ってきて、

ちょっと困難なことにもぶち当たったのだが、

せっかくここまで手をつけたんだから、

一気にやっちゃおう!!という気にもなり、

1つ目のことは、完結したのだ!!

すっきりした。爽快だった。

ここでちょっと欲が出て、2つ目のことにも手をつけようかな~。

とも思った。

しかし、今日は1つ目のことだけやればいいと決めていたんだから、

この爽快感のまま終わろう、終わらせてあげようと、

自分を誉めて終了。

 

ここで、気付いたことがある。

「仕事を楽しもう!」の意味だ。

仕事そのものは楽しくないかもしれない。

しかし、「学びを活用する」「実践して腑に落とす」

というプロセスは楽しめた(^-^)

仕事は、自己成長を楽しむアイテムにになるんだな!

 

嫌な仕事を進めるプロセスをまとめておこう。

①ゴール(感情)を設定する

②目標値を低く設定する

③Min値とMax値を決める

 

最後までお読みいただきありがとうございます。

 

2022年5月17日

 

 

【不言実行】

不言実行

不言実行という言葉を検索すると

あれこれと理屈を述べず、なすべきことを黙って実行すること。

とある。(Goo辞書引用

 

こういう人は信用されるな~。

信用できるな~。と

まさに不言実行を実践している人を思い浮かべるとそう想う。

こういう人の行動が、私を救ってくれたこともある。

やはり、長ーい年月言い伝えられてきた言葉には、

深い意味と重みがあるんだな~と改めて感じる。

 

何故、こういうことを考えたか?

私は不言実行の真逆で、

有言不実行だった。

ということに気が付いたからだ。

 

何故気付いたか?

私が、気なしに発言したことばに対する

マイメンターからのフィードバックだ。

(マイメンターは自分では気付けていないことを

率直に教えてくださる。ありがたいことだ。)

 

痛い自分と向き合うのは正直勇気がいるのだが、

マイメンターからの愛あるフィードバックを

無にしてはならない。

無意識化にしまい込んでいる、

しまいこもうとしている、

有言不実行を、顕在意識に持ってきて、

実行に移さねばならない。

移さなかったとしても、

何故移さないか、移さなかったかを、

自覚はしなければならないと想った。

 

私が気なしに発言したという言葉は

「本当はこう思ってたんですけどね。」

という言葉。

「本当はこう思ってた」というのは、

「本当はそう思っていない」ということだと、

マイメンターから指摘を受けた。

 

何故なら、「本当はこう思っていた」という同じライン上には、

「本当はこう思っていたけどやっていない」とか

「本当はこう思っていたけど別なことをやった」とか

実際に「こう思っていた」ということをやっていないという事実があるから。

「こう思っていた」ことをやっていないというのが、本心だ。

心の底からやろうと思ったことは、つべこべ言わずにやっている。

 

確かにそれは当たっていた。

やらなかったことへの言い訳に過ぎなかった。

「本当はこう思っていた」という言葉。

気なしに発言していたということは、

これまでも、周囲に発言しきた言葉であるかもしれない。

無意識だから覚えていないが、

きっとあると想う。

 

自分が発する言葉には、

自分の中の無意識な気持ちを知るヒントが沢山ある。

と同時に、

聴く人が聴けば、相手の本心がわかってしまうんだなとも思った。

そういった意味でも、

不言実行が頭のいいやり方なのだなとも悟った。

 

上手くいっている人は、きちんと考えて行動しているんだな。

ということを改めて悟る。

 

最後までお読みいただきありがとうございます。

 

2022年5月16日

【使命の見つけ方】

【使命の見つけ方】

私は人生で2度うつ病を経験した。

2度とも同じ先生にお世話になったのだが、

その先生は、薬は最小限にしてくださり、

カウンセリングに時間をかけてくださる先生だった。

カウンセリングを重ねる中で、

先生のお人柄も観え、信頼もしていた。

(先生、どうしてらっしゃるかな~。

先生にお会いできるのは、うつ病のメリットだったな(冗談))

その先生との会話の中で私が先生に対してこう言ったのを

ふと思い出した。

「先生は、大学を卒業されてから、

精神科一筋でやってらっしゃるじゃないですか。

わたしには、何か”これ”といった1つのものがない。

先生みたいに続けられる1つのことがほしい。

そういったものがあれば現状が改善されると想う」

と・・・。

それに対して先生がなんとおっしゃったか覚えていないが、

当時の自分には生きる希望も、

自分への期待も無いと想っていたが、

今その会話を想い出し、当時の自分を俯瞰してみると、

辛い中でも、生きようとしてたんだな~。と

なにか、きっかけや希望を探していたんだな~。と

そんな当時の自分をちょっとけなげで愛おしく思うのであった。

 

その会話をしたのは恐らく30代半ば。

それから40代半ばまでの10年間、

(もしかしたら、生まれてからずっとなのかもしれないとも思う。)

自分の使命とは何だろうと探求してきた気がする。

(ちなみに「使命」という言葉を意識し始めたのは、

マイメンターと出会った40代前半から。

マイメンターに「使命とは命を使うって書くよね。

自分の命を使ってやることなんだよ。」と教えてもらい、

そこから私の中での使命の定義は

「命を使ってやりたいこと」になった。)

 

40代半ばで、私の人生のテーマは

「自己肯定感」なんだなと言うことに気が付いた。

「自己肯定感」の必要性と重要性に気付いていない人に、

気付いてもらいたい。そこに「命を使いたい」と想えたからだ。

余談だが、「使命」が明確になったことで、

自己肯定感の必要性と重要性を心の底から理解するために、

うつ病を2回も経験したとさえ、想えるようにもなった。

 

何故、40代半ばで「自己肯定感」

という人生のテーマが見つかったか?

 

理由ははっきりしないけど、

何故かわからないけど、

漠然とそう想うことを

素直にやったこと。行動に起こしたこと。

だと私は考える。とういかそうだ。

 

下の子が中学生に上がるタイミングで正社員になる!

という漠然とした想いを行動に起こした。

たまたま目にした新聞広告で、

長野県主催の就活セミナーに参加した。

マイメンターと出会い。

この人信じれると想い、

この人から学びたい、学ぶことが楽しい、

ただそれだけで学び続けた。

いつものセミナー受講感覚で応募した講座が

インストラクター養成講座だった。

間違えて応募しちゃいましたと言うことも可能であったが、

何故か、めっちゃやる気な(わくわくしている?)

自分の気持ちを優先した。

1度不合格になるも、全く諦める気がない自分の気持ちを大事にし、再トライ。

一般社団法人MindLabo(旧一般社団法人日本セルフマネジメント開発協会)の

公認インストラクターになった。

マインドセットコーチングのベーシック講座に講師として登壇した。

代表から与えられたコンテンツの中には、

いくつかお伝えするメソッドがあるのだが、

その中で「ちかりんは自己肯定感の所になると熱が入るよね」(入りすぎ(笑))

と仲間のインストラクターから指摘を受ける。

確かにそうだわ~。「自己肯定感大事だよね~」を

伝えたくて伝えたくて仕方がない自分の存在に気付く。

 

そこで、自分の使命に気付いたのだ。

 

自分の中に答えはある。

だが、行動に起こさないと観えてこないのではないだろうか?

 

最後までお読みいただきありがとうございます。

 

 

2022年5月15日

【無意識を意識化する】

【無意識を意識化する】

自分に生きている価値なんてない。

いつも、イライラしているか、落ち込んでいる自分。

こんな自分は、いない方がましだ。

と40代前半まで真剣に想っていた。

想いの中心が

自分に対する「存在否定」だった。

特にうつ病が酷い時期は、その想いが強かったと想う。

割合でいったら、

自己否定感 9.5割

自己肯定感 0.5割

わずかな自己肯定感で、生きながらえていた、

そんな感覚だ。

 

しかし、当時の私は、

9.5割自己否定感で過ごしていたということに、

自覚がなかった。

9.5割という感覚は、

当時の自分を振り返っての、

今の自分が感じる感覚値だ。

今の自分だったら、酷い自己否定だったよな~。と想える。

逆に、その自己否定感の強さで、生きてたのがすごい。

とすら思える。

 

何故、自覚がなかったのか?

 

自己否定だの、自己肯定だのに

意識を向けることがなかったからだ。

 

当時の私は、

「自己肯定感」という言葉をきいたことはあったと思うが、

単に言葉を知っているという程度だった。

自己啓発本を読むこともなかったし、

今みたいに、「学ぶ」ということもしてなかったため、

その概念や大切さを知らなかった。

概念自体を知らないのだから、

自分の思考が、「自己否定になっている」とかを自覚をしよう!

という意識がないのは当然とも言えよう。

 

そんな私が、マイメンターと出会い、

自分を大事にしてこなかった自分に気付き、一念発起。

そこからは、自分を大事にするための学びを深めていった。

学んでいく中で、当時の自分が、自己否定の塊のような人間で、

自己否定感の強さが、心身に与えるダメージの強さに比例することに

気が付いたのである。

命を落とす前に気付けて本当に良かったと思うのである。

 

私は、自己否定感に対して無自覚であることの恐ろしさを知っているから、

人一倍、自分の自己肯定感に対する関心が高いのかもしれない。

「今、自己否定モードだな~」

「今めっちゃ自己尊重できてるな。」

など、日常、当たり前のように自身の中で繰り広げられている思考だ。

 

しかし、世間の人はどうなのであろうか?

今でこそ、「自己肯定感大事だよね~」と広く世の中に浸透してきているが、

はたして、そこまで日常的に、

自分の自己肯定感の状態をチェックしたり、

意識を向けたりしているものなのであろうか?

私は、自称「自己肯定感バカ」(←良い意味でバカという言葉を使っている)

だから、当たり前のように意識しているが、

過去の私のように、「自己肯定感」という言葉は知っているけど、

その概念を学んだり、知ったりするなどの機会がない人、

たまたまなかった人は、意識することがないのではないか?

その概念を学んだとしても、そこまで、

その必要性や重要性を感じなかった場合、

意識することはないのではないか?

 

自己肯定感の状態をチェックすることを

強制するのもおかしなはなしだが、

もし、何かよくわからないけど、

モヤっとして気分が晴れないとか、

負の感情が湧き出てくるなんて時には、

「もしかして、自己否定モードになっていなか?」

というセルフトークを1つ追加してほしい。

 

もっと早く気付いていれば・・・。

気付いてさえいたら・・・。

 

という状況にならないために。

 

最後までお読みいただきありがとうございます。

 

2022年5月14日

 

 

【自尊心が命を守る】

【自尊心が命を守る】

私は、自尊心が命を守る要素の一つであると、考えている。

私が、うつ病で苦しかった頃、

朝、目覚めて一番目に頭に浮かぶ言葉が、

「自分の存在を消したい」

「誰も知らないところへ行ってしまいたい」

であった。

無意識に、「死にたい」と口走っている時もあった。

何故か?

当時の私は、一緒に住む家族に対して、

自分が理想とする、母でもない、妻でもない、嫁でもない、

それどころか、イライラして、ネガティブで、

しょっちゅう具合が悪くて・・・。

そんな私は悪の根源だと想っていた。

こんな自分はいない方が家族のためだという考えを根本に持っていた。

 

そんな私の生きる支えは「自尊心」だった、

と今振り返ると想う。

 

自己否定の塊のような人間であった当時の私が、

何故「自尊心」を感じることができたのか?

 

両親から「無条件の愛」を貰っていたからだ。

 

うつ病当時、

実家に近い精神科に通っていたため、

通院の日は必ず実家に顔を出していたこともあり、

両親は、私の状態を定期的に観ていた。

自分が親の立場であれば、

自分の子供が精神的に病んでいるなんて、

心配で心配でたまらないと想う。

しかし、両親は、

イライラしたり、落ち込んだりして、

ときには暴言を吐いたり、

ネガティブなことばかり口にする私を

責めたりもせず、ただただ見守っていてくれた。

孫を1日中外へ連れ出してくれた時もあった。

毎日毎日、体がだるくて、

疲れやすい私にはどれだけ助けとなったか!

 

両親だけは、どんなに最低な私でも、

責めたりせず、ただただ受け入れてくれるんだな、

という実感があった。

こんな私でも、両親にだけは愛される存在であるのだと・・・。

 

(別に、同居の家族から責められていたというわけでもないし、

愛情を受けていなかったわけでもない。

むしろ愛情をかけてもらっていた。がしかし、

そもそも、自分自身が同居の家族に対して、

自分のことを悪の根源だと思い込んでいたので、

その愛をまっすぐに感じ取れなかったんだなと、

だいぶ後になって気付く。)

 

自らの手で遠く遠くに追いやっていた自尊心を、

両親の愛の力によって、自分の近くの観えるところまで、

引き寄せてもらっていたそんな感覚だ。

 

両親だけはこんな私でも

死んだら悲しむんだろうなと確信していた。

だから、親孝行はできなくても、

せめて、両親を悲しませることはしたくない、

そんな想いだけでなんとか命をつなぎとめていた。

 

私は、両親が健在で、

無条件の愛を感じることができた。

しかし、両親がいない場合だってあるし、

両親がいたとしても、

無条件の愛を貰えるとも限らない。

私は、幸運だった。

私が生きていることは当たり前ではない。

 

人には寿命というものがある。

だから、私もいつまでも両親からの

無条件を貰えるということはない。

 

いつまでも自分と一緒にいられるのは誰か?

そう、他でもない自分自身だ。

自分の自尊心を守れるのも自分自身である。

 

最後までお読みいただきありがとうございます。

 

 

2022年5月13日

【正常な判断ができない理由】

【正常な判断ができない理由】

ここの所、自ら命を絶つニュースが続いている。

ある人との雑談が、たまたま、

このニュースの話題へと移って行った。

その方は、私よりもかなり年上で、

人生経験も豊富。

幾多の困難を乗り越えて、

今は、ご主人、お子さん、お孫さんに囲まれ、

穏やかな生活を送られている。

その方が、ご自身のお考えを私にこう話してくださった。

「コロナで生活環境が変わったり、収入が減ったり、

確かにデメリットは多いかもしれない。

職業によっては、デメリットが顕著な人もいる。

でも、例えばだけど、

ウクライナで大変な想いをしている人たちから比べれば、

まだ日本で、日々の生活を営めるだけでもありがたい。

とか、心配事ばかりに目を向けるのではなくて、

周りを見て、何とかなりそう!ということにも目を向けるとかすれば、

命を落とすことまでの考えには至らないのではないか?」

と・・・。

苦しい時期を乗り越えたからこそ出てくるご意見だと想し、

本当にその通りだとも想うし、私もその意見には賛成だ。

しかし、うつ病経験者としては、

それでも、そういう行為に至ってしまった経緯が、

何となくわかる。

これは私の経験だが、うつ病の時は波があって、

気分が良い時(というか体調が良いと気分いい感じに振舞える時)と

悪い時がある。悪い時にも程度があり、

どん底の時は、正常な判断ができない時がある。

今、あの時の自分を振り返ると、何であんな考え方に至ったんだろう?

と思うようなどうしようもなくネガティブな考えをしていた。

でも、当時の自分はそれが健全な考えではないと思えていない。

自分だけの狭い空間の中で、どんどんどんどん

ネガティブな深みにはまっていく感じだ。

 

私は、運よく命を落とすまでには至らなかったが、

一歩間違えたら、そうなっていたかもしれないと想うこともある。

 

だから、

健全な人がおっしゃる意見はごもっともだと思うし、

私もその通りだと思うのだけれども、

もしも、亡くなった人のことを

「理解できない!」とか「考え方を改めればいいんじゃない?」

みたいに、想う人がいるのであれば、

精神的な病気がそうさせている場合もあるということを、

知ってほしい。

 

そうならないようにするために私は、

自己肯定感を高めることの必要性と重要性をうったえ、

「自分を大切にする」人生を送ることの大切さを伝えている。

 

最後までお読みいただきありがとうございます。

 

2022年5月12日