光り輝き続けるために✨

うつからのキセキ☆

【パフォーマンスとは?】

~パフォーマンスという言葉どういう意味で使ってますか?~

マイメンターからパフォーマンスが高い人ほど、

ピットイン(自分をメンテナンスするという意味合い)が必要。

という話を伺った。

そこで、ふと、今までなんとなく感覚的に使っていたけど、

「パフォーマンスってそもそも何だ?」と想い、ネット検索。

 

調べると、色々出てくるが、

自身の中でしっくりきたのが、

(株)ヒューマンパフォーマンスさんのホームページに記載されていた以下だ。

 パフォーマンスとは?

人事・人材開発分野の「パフォーマンス」とは、組織で働く人が実務で行っている行動と成果」のことです。

一般的に、「パフォーマンス」という言葉は厳密な定義がされずに使われている場合が多く、人によってその重心が「成果や業績」にあったり、「行動」にあったりします。したがって、「パフォーマンス」と聞いたときにはその人が何を意味して使っているのか、注意が必要です。

パフォーマンスの定義にはいろいろありますが、もっとも有名なものは次のギルバートの定義です(Thomas Gilbert, Human Competence,1978)。

 

ギルバートのパフォーマンスの定義

パフォーマンス = 行動 ➡ 成果

 

中略

この式は大事なことをふたつ示しています。

ひとつは、パフォーマンスはよく使われるような成果や業績だけでも、行動だけでもないということです。

もうひとつは、成果は何らかの行動の結果だということです。つまり、成果を高めるためには実務における行動を変える必要があるということです。さらに言えば、人の行動の量・質・バリエーションのどれかが変わらない限り成果は変わらないとも言えます。

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目からウロコだった。

何が目からウロコだったのか?

大きく3つある。

①国語辞典に載っている「パフォーマンス」の意味合いと、

ビジネスシーンで使われる「パフォーマンス」の意味合いとのギャップ。

②厳密な定義がないから、その人が(自分も含め)何を意味して使っているのか注意が必要。

人の行動の量・質・バリエーションのどれかが変わらない限り成果は変わらない。

 

①から得た学び

調べることの重要性を実感した。

恐らく自身には他にも、感覚やニュアンスで使っている言葉があると想うから、

これからも、気になった言葉があったらそのままにせずこまめに調べるようにしようと想う。

 

②から得た学び

自分は今まで、パフォーマンスという言葉を「行動」に近いニュアンスで使っていた。

しかし、「成果や業績」に重点を置いて使っている人もいるということは、

自身がそういう人と会話をする時、

会話がかみ合っていなかったことも多々あったのではないか?と想った。

もし、パフォーマンス=行動と想っている自身がが、

パフォーマンス=成果や業績と想っている上司に、

「パフォーマンスを今以上に上げるために(自分をメンテナンスするための)

リフレッシュ休暇ください。」と言ったとしたら、

たいした成果も出してないのに、何が今以上のパフォーマンスだ?!!!

となってしまう可能性もある(笑)

何を意味して使っているのか注意する意識を自分にも相手にも持ちたいと想った。

 

③から得た学び

自身は今まで、行動というと量というイメージが強かった。

何でも沢山行動に起こせば経験になるし、

それがたとえ望まない結果となったとしても、

そこから学べばいいと想っていた。

その考え方は基本変わらないのだが、

そこに、質とバリエーションという意識も加えると、

その沢山した行動にもっと、成果、結果が伴ってくるのではないかと想った。

「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる」方式を、

より的に当たるように精度を上げていく方式に変えていきたいと想った。

まずは、闇雲に行動していないか?

その行動にはどんな意味、どんな目的があるのか?を

しっかり考えて行動していきたい。

 

最後までお読みいただきありがとうございます。

 

2022年12月13日

【選択の仕方もレベルアップ?】

~今はやめておくという選択~

自己否定マインドで生きていた自身は、

なにかを選択するとき、

自分の気持ちを優先することが少なかった。

世間ではこうだから・・・

一般的にはこうだから・・・

常識的にはこうだから・・・

人に迷惑をかけないようにするには・・・

子供を優先するには・・・

このような思考で選択していた。

決して、この選択の仕方が悪いというわけではない。

あまりに常識外れのことをしたら周囲からひんしゅくをかうし、

人に迷惑をかけないことを優先しなければならないことも沢山あるし、

自分が心から子供のことを優先したいと想っているのならば、

その選択は自分にあまりストレスがかかっていないはずだし・・・。

ここで何が言いたいかと言うと、

自分の気持ちを抑圧しすぎるとストレスが溜まるし、

ストレスが溜まるだけならまだましだが、(解消すればいいので)

その行為ばかり続けていると、

どんどん自分の気持ち、感情を汲み取れなくなり、

それが、自分らしくない生き方になって、

人生が上手くいかない可能性を大きく秘めているから、

選択をする時はできるだけ自分の本当の気持ちに従った選択をした方が

人生をより幸せで豊かに生きられるということだ。

 

自身の場合は、最終的には精神疾患を患うまでに至った。

そんな自身であったが、

選択の仕方を変える努力を地道に続けてきたおかげで、

昔より、格段に自分らしく居られてる実感を得られるようになった。

 

どの様に、自分の気持ち、感情を優先する選択に変えて来たか?

わくわく、うれしい、楽しい。

何故かわからないけど、気になる、行ってみたい、やってみたい。

ふとやってみようと、行ってみようと想った。

を行動に起こすということだ。

お金がない、時間がないをいい訳にせず、

できるだけ、自分にやりたいことをやらせてあげて来た。

 

しかし、これもバランスであったのだと想う。

なんか違和感を感じる。なんか、うさん臭い。なんか気乗りしない。

そういった負の感情を心のどこかに抱きながらも、

それをかき消すかのように、

行動に移して失敗した、傷ついたということが何度もあった。

ポジティブな感情を優先するということはだいぶできるようになったが、

ネガティブな感情を優先するということはまだまだ苦手な自分がいる。

何故か?

この負の感情が、不安・恐れからくるものなのか?

金銭的な条件などで考えているのか?などが区別できていないのと、

やらない方の決断をすると、自分が逃げているみたいな気持ちになって、

逃げてる自分が恥ずかしかったり、なんとなく許せなかったりするからだ。

 

今回、ある講習会に出ようと、申し込んでいた。

申し込むときは、楽しみにしていた。わくわくもしていた。

しかし何故か、その日が近づいてきても気乗りしない。

東京での講習会だから、バスの予約や、どんな服を着ていくか?

など、準備しなければならないのに、なぜか迷っている。

その迷いが何なのか?

不安・恐れももちろんある。

金銭的なことを考えていることももちろんある。

でも、本当に行きたかったら、

私のことだから、不安、恐れ、金銭的な心配があったとしても、

何も考えずに行動に移せるはずだ。

迷っているということは、そこまでの熱意や必要性を感じていないのではないか?

ただ単にここのところ忙しかったからエネルギー不足なのかもしれないし・・・。

何か、逃げてるようで嫌だったが、

今回はやめてみるという選択をしてみることにした。

自身にとっては、やるという選択よりも、

やめるという選択の方が勇気がいるということにも気が付いた。

一旦行くと言ったものをやめる。

こっちの方が勇気がいるんだな~ということに改めて気付かされる。

これもいい経験だったのかもしれない。

今まではほぼ、「やる」という選択をしてきたから・・・

 

やめるという許可を自分が自分に出してあげられたことも

自己成長かもしれない。

 

最後までお読みいただきありがとうございます。

 

2022年12月12日

 

【母の偉大さ】

~この人から生まれて良かったと想える幸せ~

母は、昭和10年代生まれ。

すなわち戦時中生まれだ。

昭和時代を生きた強い女性の典型かもしれない。

 

母は、幼い頃、母親(私からすると祖母)を病気で亡くし、

母親の記憶はおぼろげにしか無いそうだ。

12歳年上の長女が、母親代わりのようなものだったと言っていた。

戦後間もない頃の幼少期は、物のない時代。

世の中全体もまだまだ貧しい感じだったし、

家も決して裕福とは言えない家庭だったそうだ。

中学校3年生の時、母親の担任の先生が、

「〇〇さん(←母親のこと)は勉強ができるから、

家の事情があるのはわかるが、何とか高校に行かせてあげて欲しい。」

と父親(私の祖父)に直接、家まで言いに来てくれたが、

それでも、家族の生活のために就職したのだそうだ。

高校に行かれなかったことに関しては、

悔しい気持ちもあったようだが、

家族が支え合って生きていくのは母親にとっては、

ごくごく当たり前のことで、

自分のお給料で家計を支えたり、

時には、お嫁に行った姉たちにも支援したりしていたのだそうだ。

これらのことは本人から直接聞いた話だが、

これとは別な話を、親戚などから聞いたことなどを総合すると、

私が母親の立場だったら、心折れるよなーと想うような

本人にとっては望まなかったであろうできごとも受け入れ、

ただただ前を向いて生きてきたということが推測できるのである。

 

昨日は、実家に泊まった。

普段は、父と母、二人で生活している。

母は「歳とると、とにかく動けなくなって~。」と言うことが増えたが、

そう言いつつも、娘が泊まりに来るとなれば、

冬バージョンの布団を押し入れから出してベランダに干し、

夕飯を用意し、お風呂を沸かして待っていてくれる。

朝は朝で、夕飯の残りでもいいのに、

きちんと、サラダに、卵に、ヨーグルトにと、

どこかのカフェのモーニングみたいな食事を出してくれる。

「わー、喫茶店のモーニングみたい!」と自身が喜ぶと、

毎日、「同じようなメニューだよ。」とサラッという。

母親にとっては、ごくごく当たり前で、自然にやっていることが、

「愛だ」ということに気が付いていないらしい。

 

思春期の頃は、母が大嫌いで、

酷いことを言ってしまったことも多々あった。

今でも、50歳にもなった娘に対して、

子供扱いしてくることがたまにあるので、

(実際に鋭い所、図星な所を突かれているから悔しい💦)

カチンときて、強い口調になってしまうことがあるが、

さすが母親。自分は感情的になることもない。

何で、こんなにも、私のことがわかるの?と想うくらい、

自分でも気付いていなかったことに対して、

気付かせてくれる、又は、気付かせてくれるきっかけをつくってくれる。

恐らく母親は無意識なのであろうが・・・。

 

何歳になっても母は偉大だ。

とうてい、かなわない。

そんな母の娘に生れて本当によかった。

 

自己否定の塊だった頃は、

ここまで強く相手のことを肯定し、

この幸福感を感じられなかったと想う。

というか、感謝の気持ちはあったが、

ここまでの強い想いは実際になかった。

 

何故なら、自己を肯定できない人は、

他者を肯定することも困難だから・・・

(もちろん、これだけが全ての要因ということではありません。)

 

最後までお読みいただきありがとうございます。

 

2022年12月10日

 

 

 

 

 

【社会性を養うためにも自己肯定感は必要】

~昨今の若い人の傾向性~

自身は、昨今の若い人(特に20代前半の人)の転職理由が、

大きく2つあるな~と

自身が実際に目の当たりにしてきた現状や、

インターネットなどから得た情報を基に漠然と考えていたのだが、

その考えに賛同してくれる人もいることが判明。

その方は、20年以上、小中学生を支援する仕事を続けてこられた方。

その方に賛同してもらえたのは、うれしいし、

自身の見立てに対する、自信にも繋がった。

 

自身が考える若い人の転職理由の

1つ目は、

個性(自分らしさ)が尊重される職場、

自分の強みを発揮できる職場でないと、

その職場への魅力を感じられなかったり、

自分が存在する意義を見い出せなかったりする。

そういう職場でないと、すぐに見切りをつけ、転職する。

優秀な人ほど、見切りをつけるタイミングは早い。

2つ目は、

組織や職場に適応できず、

体調を崩すなどの理由で転職せざるを得なくなる。

という理由だ。

 

どちらにも共通するのは、

個性(自分らしさ)が尊重される職場、

自分の強みを発揮できる職場でないという理由が

根本としてある。

恐らくだが、今の20代前半の人は(自身の息子もそうだが)

個性を大事にするという教育方針をもとに教育されてきた世代。

従って、

自分らしさを抑圧されたり、

自分らしさを発揮できないと感じた職場には、魅力も感じないし、

個性が尊重されない環境下での耐性ができていないのではないだろうか?

と想うのである。

それが、

さっさと見切りをつけるのか?

体調を崩すのか?

の違いなだけで、根本はどちらも同じなのかもしれないと考察する。

 

では、個性が尊重されない環境下での耐性を養うには何が必要なのであろうか?

それが自己肯定感なのである。

例えば、上司から上司だからという理由だけで、

ただ、「これやっといて!」という仕事の与えられ方をしたとする。

何でその仕事をしなければならないのか理由もわからないし、

こっちだって、別な仕事を抱えているし、

そもそもこの仕事、自分の仕事か?!!!

やる価値あるのか?!!!など、

納得感を得られないまま、

上司から与えられた仕事だからという理由だけで、

有無を言わさず「やらさせている感」でやっていたら辛いであろう。

このやるせない気持ちを分かってあげられるのだれだろうか?

自分だ。自分がこの気持ちに気付き、受け入れる(自己受容する)からこそ、

自分にとって、ベターな選択ができるのではないか?

この場合だったら、

あまりに理不尽だから、「できない」と伝えてみよう

でもいいし、

今回は様子をみて、次また同じようなことがあったら何か対策を考えよう

でもいいし、

誰かに相談してみよう

でもいいだろう。

少なくとも、我慢する(自分を抑圧する)という

選択をしなくてすむ可能性は高い。

例えば、職場の中で「こんなことやってみたい!」

「こうしたらもっと、いい仕事ができるのではないか!」

などアイデアや要望があったとしよう。

それを、発信していくことは勇気がいる。

だから、本心を隠し、周囲と同調する(自分を抑圧する)ことを

していることってないだろうか?

もし、自己肯定感の要素の一つである自己信頼が高ければ、

「こんなことやってみたい!」を言える勇気も持てるだろうし、

言ってみて、もしダメだったとしても、

自分だけは自分のその行為を肯定できる力を持っていたら、

そこでめげずに、また別な提案をしてくことも可能だ。

 

俗に言うブラック企業では、なかなか難しいかもしれないが、

自己肯定感を持っていれば、どこの会社に行っても、

自分らしさを守りながら、または、発揮しながら、

働くことは可能であると考える。

 

最後までお読みいただきありがとうございます。

 

2022年12月9日

 

【他者から認められることの効能】

~他者から認められることのパワー半端ない~

あるプロジェクトを進めるにあたり、

そのプロジェクトがなぜ必要なのか?

そのプロジェクトをなぜやりたいのか?

そのプロジェクトが世のため人のためになるとなぜ考えるのか?

そのプロジェクトをやることになぜやりがいを感じるのか?

そのプロジェクトをなぜチームでやりたいのか?

など、など、

ここ1~2週間、何故、何故、何故のオンパレードだった。

 

サイモンシネック著「WHYから始めよ!」(日本経済新聞出版社)に

『感情をつかさどる大脳辺縁系には言語をつかさどる能力はないから、

例えば「何故、今の伴侶と結婚したのですか?」と尋ねても、

明解な答えは返ってこないだろう。』

とあるように、何故?言語化することはそう簡単にできることではない。

 

自分の過去を振り返ったり、

経験から得た、確信、信念、そういったものを、

自分の中から吐き出すだけ吐き出して、

吐き出したものを文章としてまとめていく、

その作業の繰り返しをした1~2週間だった。

というより、まだその最中だ。

その作業を繰り返す中で、

やはり、自己対峙力の重要性を改めて感じるのである。

 

今回の、自分の中の何故?を追求するやり方は、

チームメンバーとのペアワーク。

今は、ZOOMが当たり前となっているので、

県外に暮らす仲間とも、時間を合わせさえすれば、

容易にミーティングがおこなえるようになったのは大変ありがたい。

毎晩毎晩、お互いに、お互いの、何故?を

追求するための質問と答えを繰り返す中で、

自分の信念、価値観、感情、そういったものが少しづつ少しづつ、

明確化されてきた。

今ようやく、それが形となってきたところだ。

 

自分が相手の何故?を引き出すために相手に投げかけた質問が、

自分への質問にもなり、

相手が答えたことが、自分の答えのヒントにもなる。

恐らく、相手にもその現象は起きていたのだと想う。

想いが言葉にならないもどかしさという意味での苦しさはあったが、

ここ1~2週間の自己対峙の時間は、幸福感に満ちていた。

 

何故だろう。

お互いがお互いの価値観を認め合い、同じ方向を向き、

お互いに高めあうこと、それを支援しあうことを、

ごくごく当たり前にできる関係性であるから、

その仲間との共同作業だったからだと確信している。

本当にありがたい存在だ。

 

そして、信頼する仲間に認められること、

そのパワーは自分で自分を認めることの何倍いや何十倍だということにも、

改めて気付かされる。

自分で自分を承認することも大事だが、

時には、他者からの承認も必要なのだなと感じる。

とは言え、

承認欲求を他人からの承認で埋めようとし過ぎることも、

それはそれで、苦しくなるから、

これもバランスが大事と言えよう。

 

そんなこんなで、自己認知、自己理解、自己受容、自己信頼、自己尊重

すなわち自己肯定感をぐぐーんと上げる時間となった。

 

最後までお読みいただきありがとうございます。

 

2022年12月8日

 

 

 

【これからの時代、自己肯定感がより大切となる理由】

~令和の時代は自分らしさを大切にする時代~

2019年12月に実施した「働く喜び調査」のデータをもとに出した結論として、

「持ち味を発揮すること」は個人の「働く喜び」に対する影響が非常に強く、そのことが職場の業績に影響を与えていることが明らかになった

とある。(出典元:ビジネスインサイダー https://www.businessinsider.jp/

近年、大手企業の中では、自分らしくいられるかどうかが、

職場環境の一つの要項になっているという事実がある

ということの裏付けとも言えよう。

 

自身はありのままの自分を受け入れることができず、

自分らしく生きることとはほど遠い生き方を、

思春期の頃から約30年間続けてきた。

今振り返ると、

それが自己否定、自己不信、自己卑下であったのだと理解できる。

そんな経験は、自分の存在そのものを否定することへ繋がり、

それが、仕事にもプライベートにも、さらに子育てにも、大きな影響を与えて、

最後には自身のメンタリティにも支障をきたし、精神性疾患を患うまでに至った。

そんな中、約8年前、マイメンターと出会い、

自己を肯定することの大切さに気付かされた。

大切さに気付くきっかけとなった自己肯定は、

本当に本当に些細なことであったが、

今となってはその些細な自己肯定が、

自身の人生にとって大きな大きな自己変容となるきっかけだったのだ。

人間には再生の力がある。人は変われる。

マイメンターと出会ってからの8年間は、

それを確信する経験の積み重ねであった。

 

その経験で培ったもの、それが自己肯定感なのである。

 

そんな自身だからこそ言えること、

それが、令和時代が求める自分らしさをもって生きるためには、

自己肯定感が必要だということだ。

 

自己を肯定する力、その土台があるからこそ、

自分らしく生きられるのである。

 

自身は特に、職場での自己否定の傾向性が強かった。

すなわち、自分らしくない状態である。

仕事でパフォーマンスを高めていくためにも、自己肯定感を高めることは、

必須のスキルであると考える。

 

最後までお読みいただきありがとうございます。

 

2022年12月7日

【何事にも共通する根本的解決策】

~方法論だけでは上手くいかないと考える理由~

恋愛に悩めば、「もてる女子になるには〇〇」「もてる男子がしている〇〇」

ダイエットしたいと思えば、「〇〇ダイエット法」

人間関係に悩めば、「上手いコミュニケーションの取り方」「話し方」「接し方」

成績のことで悩めば「〇〇すれば成績が上がる」

子育てについて悩めば「〇〇子育て法」

など、人々の悩みに対して、

世の中には本当に沢山の情報が溢れている。

50歳である自身が20代くらいまでは、

インターネットがそこまで万民に普及していなかったので、

その情報を得る手段は、本や新聞などの紙媒体や、

TVやラジオに限られていた。

が、現代は、それにプラスして、SNSYouTubeなどで、

即座に、しかも無料でその情報が得られるようになった。

本当にありがたいことだ。

 

例えば、

エビデンス付きでの情報を発信してくださっている方(メディア)や

ご自身の体験から得たことを通して、

こうした方が上手くいきますよ~

これをやめたら上手くいきますよ~

などためなるアドバイスや情報を提供してくださっている方(メディア)が、

たくさんいらっしゃることには本当に感謝でしかない。

 

ただ、1つ残念に思うのが、

受ける側のマインド、心の土台が整っていなければ、

せっかく良い方法、良い情報を提供したり、

提案してくださっているのに、

それが上手く機能しなかったり、

途中までは上手くいっても、

何か壁にぶつかった時に諦めてしまったりして、

結果、悩みの根本的解決までに至らないケースがあるのではないか?

ということなのである。

これはこれまでの自身の人生を振り返ってみても言えることで、

何かに悩んだり、もっと理想の自分に近づきたいと想った時、

このやり方がいけないのかな?とか

上手くやるにはどうしよう?とか

目先のやり方や環境を変えることばかりに気を取られ、

そこから着手することが多かった。

自己流にやったこともあったし、

得た情報からやってみたこともあったが、

途中で挫折することや、

結果的に同じことの繰り返しをしていたということが多々あった。

しかし、マインドを整えること(心づくり)をしてきた、

ここ7~8年間では、確実に自身の生き方、行動に変化が起きた。

方法論で得た知識を、行動に移せるようになったのだ。

その大きな要因は、

折れない心(しなやかで強い心)をつくってきたこと

であったと捉えている。

 

例えば、何かを改善しようと想い、それに取り組もうとしたとしよう。

しかし、やっていく中で、上手くいかないことが出てくることは人生よくあることだ。

そんな時、以前の自身であれば、

できない自分と向き合える強い心が無かったから、

自分と向き合わず、環境を変えることに意識を向けたり、

途中で諦めたりしていた。

そうやって、逃げたり、諦めたりした事柄は、

事象は違っても、何故かまた、同じようなことでつまずくということを、

何度も何度も繰り返してきた。

しかし今は、辛くても、

できない自分と向き合える強い心を持てるようになったので、

自分のどこを改善したらこの上手くいかない状況を打破できるか?

という根本的な所に取り組めるようになったので、

その時は、時間がかかるように想うが、

人生という長いスパンで観ると、

同じことを何度も繰り返すという事象からは解放されるので、

自分のマインドと向き合ったことの方が効果効率的なのである。

 

自分のマインドと向き合うには、

自分の負の部分、見たくない部分と向き合わなければならないので、

自己受容という心の土台をしっかりつくっておく必要があるのである。

 

最後までお読みいただきありがとうございます。

 

2022年12月6日