【母の偉大さ】
~この人から生まれて良かったと想える幸せ~
母は、昭和10年代生まれ。
すなわち戦時中生まれだ。
昭和時代を生きた強い女性の典型かもしれない。
母は、幼い頃、母親(私からすると祖母)を病気で亡くし、
母親の記憶はおぼろげにしか無いそうだ。
12歳年上の長女が、母親代わりのようなものだったと言っていた。
戦後間もない頃の幼少期は、物のない時代。
世の中全体もまだまだ貧しい感じだったし、
家も決して裕福とは言えない家庭だったそうだ。
中学校3年生の時、母親の担任の先生が、
「〇〇さん(←母親のこと)は勉強ができるから、
家の事情があるのはわかるが、何とか高校に行かせてあげて欲しい。」
と父親(私の祖父)に直接、家まで言いに来てくれたが、
それでも、家族の生活のために就職したのだそうだ。
高校に行かれなかったことに関しては、
悔しい気持ちもあったようだが、
家族が支え合って生きていくのは母親にとっては、
ごくごく当たり前のことで、
自分のお給料で家計を支えたり、
時には、お嫁に行った姉たちにも支援したりしていたのだそうだ。
これらのことは本人から直接聞いた話だが、
これとは別な話を、親戚などから聞いたことなどを総合すると、
私が母親の立場だったら、心折れるよなーと想うような
本人にとっては望まなかったであろうできごとも受け入れ、
ただただ前を向いて生きてきたということが推測できるのである。
昨日は、実家に泊まった。
普段は、父と母、二人で生活している。
母は「歳とると、とにかく動けなくなって~。」と言うことが増えたが、
そう言いつつも、娘が泊まりに来るとなれば、
冬バージョンの布団を押し入れから出してベランダに干し、
夕飯を用意し、お風呂を沸かして待っていてくれる。
朝は朝で、夕飯の残りでもいいのに、
きちんと、サラダに、卵に、ヨーグルトにと、
どこかのカフェのモーニングみたいな食事を出してくれる。
「わー、喫茶店のモーニングみたい!」と自身が喜ぶと、
毎日、「同じようなメニューだよ。」とサラッという。
母親にとっては、ごくごく当たり前で、自然にやっていることが、
「愛だ」ということに気が付いていないらしい。
思春期の頃は、母が大嫌いで、
酷いことを言ってしまったことも多々あった。
今でも、50歳にもなった娘に対して、
子供扱いしてくることがたまにあるので、
(実際に鋭い所、図星な所を突かれているから悔しい💦)
カチンときて、強い口調になってしまうことがあるが、
さすが母親。自分は感情的になることもない。
何で、こんなにも、私のことがわかるの?と想うくらい、
自分でも気付いていなかったことに対して、
気付かせてくれる、又は、気付かせてくれるきっかけをつくってくれる。
恐らく母親は無意識なのであろうが・・・。
何歳になっても母は偉大だ。
とうてい、かなわない。
そんな母の娘に生れて本当によかった。
自己否定の塊だった頃は、
ここまで強く相手のことを肯定し、
この幸福感を感じられなかったと想う。
というか、感謝の気持ちはあったが、
ここまでの強い想いは実際になかった。
何故なら、自己を肯定できない人は、
他者を肯定することも困難だから・・・
(もちろん、これだけが全ての要因ということではありません。)
最後までお読みいただきありがとうございます。
2022年12月10日