光り輝き続けるために✨

うつからのキセキ☆

【自尊感情のパワー】

~自己肯定感の最上位~

自己肯定感を構成する要素は、

自己受容、自己信頼、自己尊重であると

あるコーチングの世界では言われている。

土台は自己受容で、その上に自己信頼が構築され、

そのまた上に自己尊重が構築されているという構造だ。

自己受容の土台を広げ、厚みを増やすと、

その上に構築できる、自己信頼、自己尊重も増えてくる。

自身は、

自己受容を増やす ➡ 自己信頼を増やす ➡ 自己尊重を増やす

このサイクルを何度も何度も繰り返し、

徐々に徐々に自己肯定感を高めて来た。

1日にすると1ミリくらいだったかもしれないが、

それが365日×約8年ともなれば、塵も積もれば山となる方式で、

最初は、コメ粒ほど小さかった自己肯定感が、

今では、奈良の大仏ほど大きくなった気分である。← ちょっと大げさすぎ(笑)

 

今振り返ると、

「自分を大事にする」と決心してからの8年間、

自分の人生における大きな決断をする時、

なぜその大きな決断ができたのか?と理由を考えると、

自分の自尊心を守りたいという自尊感情から

決断できてたのかもしれないと想うのである。

 

自分の自尊心を傷つけられるような環境に身を置いている時、

自分の中にもともと持っていた自尊心を振り絞って、

その傷をいやしていた。

時には、両親や、信頼する仲間など、

自尊心を高めてくれる人たちと触れ合うことでその傷をいやすこともあった。

しかし、このもともと持っている自尊心や

両親や大切な仲間の存在で高められた大切な大切な自尊心を

そんなことに消費してしまうのはもったいない!!

もっと世のため人のために使いたい!!

という自尊感情が次第に湧き上がってくる。

そういう状態になると、金銭面など物理的な損失は大きかったとしても、

自分の自尊心を守る方を選んできた。

無意識だったが、そんな生き方をしてきた気がする。

 

最近、また自分の人生にとって大きな決断をした。

とっても、とっても勇気のいる決断で、

今でもちょっと気持ちが揺らぐ時も正直ある。

しかし、その決断を揺るぎないものにしているもの、

その一番大きな力となっているのが、

自分の自尊心を守りたい!!

そんなことに大切な自尊心を消費してしまうなら、

そのエネルギーをもっと、世のため人のために使いたい。

おいう想いなのである。

そう想うと、揺らぎが止まり、前に進むモチベが湧いてくるのである。

 

そのフローに気が付いた今日この頃である。

昔は無意識であったが、最近は意識的にそう感じられるようになってきた。

 

最後までお読みいただきありがとうございます。

 

2022年12月15日

 

 

【いろんなことをやらせてあげる】

~興味関心は体験から生まれる~

「興味関心は体験から生まれる。」

この言葉は、マイメンターがある講演会でおっしゃった言葉だ。

続けて、

「いろんなことをやらせてあげると、

自分が何に興味があって、何に興味がないのか?がわかってくる。」

ともおっしゃっていた。

ハッとした。

体験は、

興味があることを見つけるだけでなく、

興味がないことを見つけることもあるということに、

気付かされたからだ。

 

 

最近日課になっている、YouTube動画の観賞。

いつものように帰宅後、YouTubeを立ち上げると、

デフォルト画面に見慣れない顔が映っている。

本田圭佑さんだ。

自身はサッカーに興味がないので、

サッカー関連の検索をした記憶もないし、

ましてや「本田圭佑」というワードで

検索をかけたこともなかったので、

何故、突然本田圭佑さんがデフォルト画面に登場したのか?

これは、観なさい!ってことか?!!と

興味津々でその動画をクリック。

その動画は、

本田圭佑さんがアメリカでの住まいを紹介しながら、

インタビュアーの質問に答え、

生活スタイルなどを開示してくれるという内容だった。

インタビュアーの質問の1つにこんな質問があった。

「(本田さんは、)他の球技はしないのですか?」と。

自身は勝手に、

幼少期からずっとサッカーだけをやっていたのだと想っていたが、

意外なことに、サッカー1つに絞ったのは中1の時からで、

小学生までは、野球・バスケ・バレーなどいろいろやっていたそうだ。

 

この動画を観たのがきっかけで、

もう2週間も前となる講演で聞いたマイメンターの言葉、

「いろんなことをやらせてあげると、

自分が何に興味があって、何に興味がないのか?がわかってくる。」

を想い出したのだ。

本田さんは動画の中で、

「サッカー1本に絞ったのは中学1年生」とはっきりおっしゃっていた。

これは推測だが、

親御さんが息子さんである本田圭佑さんに、

そして、本田圭佑さん自身も、

自分自身に色々な体験をさせてあげたことで、

サッカー1本に絞れたのではないだろうか?

小学生までの間に、

何に興味があって、何に興味がないのかを見極める体験を

たくさんやらせてあげていたのではないだろうか?

 

本田さんは、たまたま子供時代にこれ!というものを発見できた。

しかし、自分のこれ!!というものを小さいうちに

見つけられることの方がラッキーで、

自分のこれ!!というものが何か?という問いを持ち続け、

自分にいろんなことを体験させてあげれば、

きっと誰にでも見つかると自身は想う。

 

1度始めたことは最後まで続けなければならない。

途中で辞めることは恥ずかしい。

そんな固定観念を手放し、

できる限り、自分に自分の望むことをやらせてあげれば、

きっとみつかる。

自身もそうであったように・・・。

(自身の場合40代半ば💦(^-^))

 

最後までお読みいただきありがとうございます。

 

2022年12月14日

 

 

【パフォーマンスとは?】

~パフォーマンスという言葉どういう意味で使ってますか?~

マイメンターからパフォーマンスが高い人ほど、

ピットイン(自分をメンテナンスするという意味合い)が必要。

という話を伺った。

そこで、ふと、今までなんとなく感覚的に使っていたけど、

「パフォーマンスってそもそも何だ?」と想い、ネット検索。

 

調べると、色々出てくるが、

自身の中でしっくりきたのが、

(株)ヒューマンパフォーマンスさんのホームページに記載されていた以下だ。

 パフォーマンスとは?

人事・人材開発分野の「パフォーマンス」とは、組織で働く人が実務で行っている行動と成果」のことです。

一般的に、「パフォーマンス」という言葉は厳密な定義がされずに使われている場合が多く、人によってその重心が「成果や業績」にあったり、「行動」にあったりします。したがって、「パフォーマンス」と聞いたときにはその人が何を意味して使っているのか、注意が必要です。

パフォーマンスの定義にはいろいろありますが、もっとも有名なものは次のギルバートの定義です(Thomas Gilbert, Human Competence,1978)。

 

ギルバートのパフォーマンスの定義

パフォーマンス = 行動 ➡ 成果

 

中略

この式は大事なことをふたつ示しています。

ひとつは、パフォーマンスはよく使われるような成果や業績だけでも、行動だけでもないということです。

もうひとつは、成果は何らかの行動の結果だということです。つまり、成果を高めるためには実務における行動を変える必要があるということです。さらに言えば、人の行動の量・質・バリエーションのどれかが変わらない限り成果は変わらないとも言えます。

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目からウロコだった。

何が目からウロコだったのか?

大きく3つある。

①国語辞典に載っている「パフォーマンス」の意味合いと、

ビジネスシーンで使われる「パフォーマンス」の意味合いとのギャップ。

②厳密な定義がないから、その人が(自分も含め)何を意味して使っているのか注意が必要。

人の行動の量・質・バリエーションのどれかが変わらない限り成果は変わらない。

 

①から得た学び

調べることの重要性を実感した。

恐らく自身には他にも、感覚やニュアンスで使っている言葉があると想うから、

これからも、気になった言葉があったらそのままにせずこまめに調べるようにしようと想う。

 

②から得た学び

自分は今まで、パフォーマンスという言葉を「行動」に近いニュアンスで使っていた。

しかし、「成果や業績」に重点を置いて使っている人もいるということは、

自身がそういう人と会話をする時、

会話がかみ合っていなかったことも多々あったのではないか?と想った。

もし、パフォーマンス=行動と想っている自身がが、

パフォーマンス=成果や業績と想っている上司に、

「パフォーマンスを今以上に上げるために(自分をメンテナンスするための)

リフレッシュ休暇ください。」と言ったとしたら、

たいした成果も出してないのに、何が今以上のパフォーマンスだ?!!!

となってしまう可能性もある(笑)

何を意味して使っているのか注意する意識を自分にも相手にも持ちたいと想った。

 

③から得た学び

自身は今まで、行動というと量というイメージが強かった。

何でも沢山行動に起こせば経験になるし、

それがたとえ望まない結果となったとしても、

そこから学べばいいと想っていた。

その考え方は基本変わらないのだが、

そこに、質とバリエーションという意識も加えると、

その沢山した行動にもっと、成果、結果が伴ってくるのではないかと想った。

「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる」方式を、

より的に当たるように精度を上げていく方式に変えていきたいと想った。

まずは、闇雲に行動していないか?

その行動にはどんな意味、どんな目的があるのか?を

しっかり考えて行動していきたい。

 

最後までお読みいただきありがとうございます。

 

2022年12月13日

【選択の仕方もレベルアップ?】

~今はやめておくという選択~

自己否定マインドで生きていた自身は、

なにかを選択するとき、

自分の気持ちを優先することが少なかった。

世間ではこうだから・・・

一般的にはこうだから・・・

常識的にはこうだから・・・

人に迷惑をかけないようにするには・・・

子供を優先するには・・・

このような思考で選択していた。

決して、この選択の仕方が悪いというわけではない。

あまりに常識外れのことをしたら周囲からひんしゅくをかうし、

人に迷惑をかけないことを優先しなければならないことも沢山あるし、

自分が心から子供のことを優先したいと想っているのならば、

その選択は自分にあまりストレスがかかっていないはずだし・・・。

ここで何が言いたいかと言うと、

自分の気持ちを抑圧しすぎるとストレスが溜まるし、

ストレスが溜まるだけならまだましだが、(解消すればいいので)

その行為ばかり続けていると、

どんどん自分の気持ち、感情を汲み取れなくなり、

それが、自分らしくない生き方になって、

人生が上手くいかない可能性を大きく秘めているから、

選択をする時はできるだけ自分の本当の気持ちに従った選択をした方が

人生をより幸せで豊かに生きられるということだ。

 

自身の場合は、最終的には精神疾患を患うまでに至った。

そんな自身であったが、

選択の仕方を変える努力を地道に続けてきたおかげで、

昔より、格段に自分らしく居られてる実感を得られるようになった。

 

どの様に、自分の気持ち、感情を優先する選択に変えて来たか?

わくわく、うれしい、楽しい。

何故かわからないけど、気になる、行ってみたい、やってみたい。

ふとやってみようと、行ってみようと想った。

を行動に起こすということだ。

お金がない、時間がないをいい訳にせず、

できるだけ、自分にやりたいことをやらせてあげて来た。

 

しかし、これもバランスであったのだと想う。

なんか違和感を感じる。なんか、うさん臭い。なんか気乗りしない。

そういった負の感情を心のどこかに抱きながらも、

それをかき消すかのように、

行動に移して失敗した、傷ついたということが何度もあった。

ポジティブな感情を優先するということはだいぶできるようになったが、

ネガティブな感情を優先するということはまだまだ苦手な自分がいる。

何故か?

この負の感情が、不安・恐れからくるものなのか?

金銭的な条件などで考えているのか?などが区別できていないのと、

やらない方の決断をすると、自分が逃げているみたいな気持ちになって、

逃げてる自分が恥ずかしかったり、なんとなく許せなかったりするからだ。

 

今回、ある講習会に出ようと、申し込んでいた。

申し込むときは、楽しみにしていた。わくわくもしていた。

しかし何故か、その日が近づいてきても気乗りしない。

東京での講習会だから、バスの予約や、どんな服を着ていくか?

など、準備しなければならないのに、なぜか迷っている。

その迷いが何なのか?

不安・恐れももちろんある。

金銭的なことを考えていることももちろんある。

でも、本当に行きたかったら、

私のことだから、不安、恐れ、金銭的な心配があったとしても、

何も考えずに行動に移せるはずだ。

迷っているということは、そこまでの熱意や必要性を感じていないのではないか?

ただ単にここのところ忙しかったからエネルギー不足なのかもしれないし・・・。

何か、逃げてるようで嫌だったが、

今回はやめてみるという選択をしてみることにした。

自身にとっては、やるという選択よりも、

やめるという選択の方が勇気がいるということにも気が付いた。

一旦行くと言ったものをやめる。

こっちの方が勇気がいるんだな~ということに改めて気付かされる。

これもいい経験だったのかもしれない。

今まではほぼ、「やる」という選択をしてきたから・・・

 

やめるという許可を自分が自分に出してあげられたことも

自己成長かもしれない。

 

最後までお読みいただきありがとうございます。

 

2022年12月12日

 

【自己肯定感はなぜ必要か?】

~一言で言えるようになるために~

自己肯定感が高いメリット、

自己肯定感を高めるメリットについては、

こちらのブログにもの沢山掲載してきた。

挙げたらきりがないくらいある。

きっと、これからもまた新たな発見があるだろう。

しかし、ここまで

「自己肯定感大事!自己肯定感大事!」と言っておきながら、

何故、自己肯定感が大事なのか?

ということを一言でズバッっと言えない自分がいる。

世間でも、最近、

例えば、

恋愛が上手くいく方法、

コミュニケーション能力の上げ方、

などのノウハウ情報の中に、

「自己肯定感大事ですよ~」という言葉が入っていることが

増えてきたと感じるが、

何で大事なのか?何で必要なのか?ということは歌ってないし、

自己肯定感をどう上げればいいのかということまでは説明されていない。

そもそも情報のテーマが、恋愛やコミュニケーションだから

そこをうたってなくても全く問題ないし、当然のことであろう。

ここで何が言いたいのかというと、

やはり、多くの情報発信者が、ノウハウも大事だが、

前提に自己肯定感を持っていると、より、

そのノウハウの効果も高いし、

効率的に活かせるということに直感的に気付いているのだと想う。

だから、「自己肯定感は大事です。」というところまでは、

真摯に伝えてくださるのだが、

何故大事で、何故必要なのか、という所までは言及していない。

その原因の一つに、自己肯定感は感情だから、脳科学的に、

言語化が難しいということもあるからではないか?と考える。

そもそも、自己肯定感がテーマでないから、そこまで伝える意識が無い、

無くて、もちろん当たり前なのだが・・・

でも、

簡単に「自己肯定感は〇〇だから必要なんです!!」

という一言を持っていれば、伝えている可能性もある。

 

私は、言語化が難しいとされる、感情をつかさどる部分、

WHYの部分を伝えていかなければならない、と感じるのである。

 

そこで、何故、何故を繰り返してみた。

 

自己肯定感はなぜ必要か?

しなやかで折れない強い心をつくるため。

何故、強い心が必要なのか?

行動を起こすこと、また、行動を起こして継続すること(途中であきらめないこと)

に必要だから

何故、行動に起こすこと、行動を継続することが必要なのか?

自分が望む未来、なりたい自分に近づくため。

自分が望む未来、なりたい自分に近づくために何故自己肯定感が必要なのか?

自分の本当に望んでいることや現状を認め受け入れて、

自分が望む未来に近づくための課題、改善点を見い出さなければならないから。

そのために、自己肯定感の土台となる自己受容が土台となるから。

 

自分を信じる力がないと、行動に起こせないことがあるから。

起こせたとしても、諦める理由を理由を探して諦める方向に思考が行くから。

そのために、自己肯定感の要素となる自己信頼が必要だから。

 

自分を大事にする力(自分を尊重する力)がないと、自分が心から臨むことを、

行動に起こせないから。抑圧する可能性が高くなるから。

そのために、自己肯定感の要素となる自己尊重が必要だから。

 

まとめると、

自己肯定感は、

自分が心から望む未来を手に入れるために必要な

最も重要な感情(自己受容・自己信頼・自己尊重)であるから。

 

ん~、いまいち、しっくりくるようなこないような。。。

永遠のテーマなのか?

 

最後までお読みいただきありがとうございます。

 

2022年12月11日

【母の偉大さ】

~この人から生まれて良かったと想える幸せ~

母は、昭和10年代生まれ。

すなわち戦時中生まれだ。

昭和時代を生きた強い女性の典型かもしれない。

 

母は、幼い頃、母親(私からすると祖母)を病気で亡くし、

母親の記憶はおぼろげにしか無いそうだ。

12歳年上の長女が、母親代わりのようなものだったと言っていた。

戦後間もない頃の幼少期は、物のない時代。

世の中全体もまだまだ貧しい感じだったし、

家も決して裕福とは言えない家庭だったそうだ。

中学校3年生の時、母親の担任の先生が、

「〇〇さん(←母親のこと)は勉強ができるから、

家の事情があるのはわかるが、何とか高校に行かせてあげて欲しい。」

と父親(私の祖父)に直接、家まで言いに来てくれたが、

それでも、家族の生活のために就職したのだそうだ。

高校に行かれなかったことに関しては、

悔しい気持ちもあったようだが、

家族が支え合って生きていくのは母親にとっては、

ごくごく当たり前のことで、

自分のお給料で家計を支えたり、

時には、お嫁に行った姉たちにも支援したりしていたのだそうだ。

これらのことは本人から直接聞いた話だが、

これとは別な話を、親戚などから聞いたことなどを総合すると、

私が母親の立場だったら、心折れるよなーと想うような

本人にとっては望まなかったであろうできごとも受け入れ、

ただただ前を向いて生きてきたということが推測できるのである。

 

昨日は、実家に泊まった。

普段は、父と母、二人で生活している。

母は「歳とると、とにかく動けなくなって~。」と言うことが増えたが、

そう言いつつも、娘が泊まりに来るとなれば、

冬バージョンの布団を押し入れから出してベランダに干し、

夕飯を用意し、お風呂を沸かして待っていてくれる。

朝は朝で、夕飯の残りでもいいのに、

きちんと、サラダに、卵に、ヨーグルトにと、

どこかのカフェのモーニングみたいな食事を出してくれる。

「わー、喫茶店のモーニングみたい!」と自身が喜ぶと、

毎日、「同じようなメニューだよ。」とサラッという。

母親にとっては、ごくごく当たり前で、自然にやっていることが、

「愛だ」ということに気が付いていないらしい。

 

思春期の頃は、母が大嫌いで、

酷いことを言ってしまったことも多々あった。

今でも、50歳にもなった娘に対して、

子供扱いしてくることがたまにあるので、

(実際に鋭い所、図星な所を突かれているから悔しい💦)

カチンときて、強い口調になってしまうことがあるが、

さすが母親。自分は感情的になることもない。

何で、こんなにも、私のことがわかるの?と想うくらい、

自分でも気付いていなかったことに対して、

気付かせてくれる、又は、気付かせてくれるきっかけをつくってくれる。

恐らく母親は無意識なのであろうが・・・。

 

何歳になっても母は偉大だ。

とうてい、かなわない。

そんな母の娘に生れて本当によかった。

 

自己否定の塊だった頃は、

ここまで強く相手のことを肯定し、

この幸福感を感じられなかったと想う。

というか、感謝の気持ちはあったが、

ここまでの強い想いは実際になかった。

 

何故なら、自己を肯定できない人は、

他者を肯定することも困難だから・・・

(もちろん、これだけが全ての要因ということではありません。)

 

最後までお読みいただきありがとうございます。

 

2022年12月10日

 

 

 

 

 

【社会性を養うためにも自己肯定感は必要】

~昨今の若い人の傾向性~

自身は、昨今の若い人(特に20代前半の人)の転職理由が、

大きく2つあるな~と

自身が実際に目の当たりにしてきた現状や、

インターネットなどから得た情報を基に漠然と考えていたのだが、

その考えに賛同してくれる人もいることが判明。

その方は、20年以上、小中学生を支援する仕事を続けてこられた方。

その方に賛同してもらえたのは、うれしいし、

自身の見立てに対する、自信にも繋がった。

 

自身が考える若い人の転職理由の

1つ目は、

個性(自分らしさ)が尊重される職場、

自分の強みを発揮できる職場でないと、

その職場への魅力を感じられなかったり、

自分が存在する意義を見い出せなかったりする。

そういう職場でないと、すぐに見切りをつけ、転職する。

優秀な人ほど、見切りをつけるタイミングは早い。

2つ目は、

組織や職場に適応できず、

体調を崩すなどの理由で転職せざるを得なくなる。

という理由だ。

 

どちらにも共通するのは、

個性(自分らしさ)が尊重される職場、

自分の強みを発揮できる職場でないという理由が

根本としてある。

恐らくだが、今の20代前半の人は(自身の息子もそうだが)

個性を大事にするという教育方針をもとに教育されてきた世代。

従って、

自分らしさを抑圧されたり、

自分らしさを発揮できないと感じた職場には、魅力も感じないし、

個性が尊重されない環境下での耐性ができていないのではないだろうか?

と想うのである。

それが、

さっさと見切りをつけるのか?

体調を崩すのか?

の違いなだけで、根本はどちらも同じなのかもしれないと考察する。

 

では、個性が尊重されない環境下での耐性を養うには何が必要なのであろうか?

それが自己肯定感なのである。

例えば、上司から上司だからという理由だけで、

ただ、「これやっといて!」という仕事の与えられ方をしたとする。

何でその仕事をしなければならないのか理由もわからないし、

こっちだって、別な仕事を抱えているし、

そもそもこの仕事、自分の仕事か?!!!

やる価値あるのか?!!!など、

納得感を得られないまま、

上司から与えられた仕事だからという理由だけで、

有無を言わさず「やらさせている感」でやっていたら辛いであろう。

このやるせない気持ちを分かってあげられるのだれだろうか?

自分だ。自分がこの気持ちに気付き、受け入れる(自己受容する)からこそ、

自分にとって、ベターな選択ができるのではないか?

この場合だったら、

あまりに理不尽だから、「できない」と伝えてみよう

でもいいし、

今回は様子をみて、次また同じようなことがあったら何か対策を考えよう

でもいいし、

誰かに相談してみよう

でもいいだろう。

少なくとも、我慢する(自分を抑圧する)という

選択をしなくてすむ可能性は高い。

例えば、職場の中で「こんなことやってみたい!」

「こうしたらもっと、いい仕事ができるのではないか!」

などアイデアや要望があったとしよう。

それを、発信していくことは勇気がいる。

だから、本心を隠し、周囲と同調する(自分を抑圧する)ことを

していることってないだろうか?

もし、自己肯定感の要素の一つである自己信頼が高ければ、

「こんなことやってみたい!」を言える勇気も持てるだろうし、

言ってみて、もしダメだったとしても、

自分だけは自分のその行為を肯定できる力を持っていたら、

そこでめげずに、また別な提案をしてくことも可能だ。

 

俗に言うブラック企業では、なかなか難しいかもしれないが、

自己肯定感を持っていれば、どこの会社に行っても、

自分らしさを守りながら、または、発揮しながら、

働くことは可能であると考える。

 

最後までお読みいただきありがとうございます。

 

2022年12月9日