光り輝き続けるために✨

うつからのキセキ☆

【感謝で脱出】

~日常から得た気付きシリーズ~

プライベートで起きたある出来事がきっかけで、

ここ数日、プライベートに限らず、

自身の生き方、在り方自体を見つめなおす時間となっていた。

 

カレンダー的に今週は火水木、3日のみの勤務。

3連休を終え、火曜日に出勤すると気分が重い。

うわ~。最近の自分には珍しいな~。

あ~あの出来事が引っかかってるな~。

それにしても、プライベートで起きたあの出来事が、

仕事へのモチベーションにもこんなに関わってくるなんて、

そんなに堪えていないと想っていたのは見当違いだったみたいだな~。

そんな風に感じながら、

モチベーションが下がっている自身を受容しつつも、

「お給料もらっているんだから、集中集中。」と

ときどきカツも入れながら、なんとかバランスを保っていた。

そんな3日間だった。

しかし、そんなモヤモヤし、なんとなく憂鬱な3日間に

ピリオドを打ったのが、「感謝」であったのだ。

 

先週の3連休に、

自身も今年の春~夏に登壇したオンライン講座、

「風の時代に必要なマインドセット講座2.0」

のオプション動画が配信された。

(受講者様、参加者しか観られないプラットホームにて配信)

そこで配信されたマイメンターの動画で

「感謝」の大切さについてが取り上げられていた。

自身は、その動画を見て、「感謝」の大切さ、影響力について、

改めて知識としての理解は得たが、

傷心で心がすさんでいる、ささくれだっていたため、

頭では解っているのに、「感謝」できない自分もいた。

それが火曜日であった。

昔の自分だったら、

「感謝できなくてだめだな~」と自分を責めていたかもしれない。

しかし、そこは自己成長を感じる部分であるが、

感謝できないんだな。とジャッジをせずにその状態を単に受け入れ、

何故感謝できないのか?を自問することができたのだ。

そして、その理由を紙に書き出してみた。

そしたら、周囲に対しての不満が出てくる、出てくる。

今まで、本当は理不尽に想っていたり、

悲しいな、切ないなと感じていたことを、

知らず知らずの間に心に蓄積させてしまっていたんだな~と

いうことがわかった。

感謝したくないのなら今日は感謝しないで寝よう!と

それでも、今日という一日を生き抜いた自分にだけは感謝して寝た。

水曜日も、マイメンターの動画をみた。

昨日同様、感謝できない自分がいたが、

一歩進歩したのは、

あの負の出来事、その引き金となったあの人に感謝できるようになるには、

どんな考え方ができるだろう?という問いが生まれたのだ。

水曜日にその答えは出なかった。

そして、木曜日、またマイメンターの同じ動画を見て、

その答えがふと湧いてきた。

 

本当はサッカー選手が欲しかったのに、

野球は得意だけどサッカーは苦手な私を

同じフィールドに立たせてくれてありがとう。

そして、なんとかサッカーもできるようにしてあげたい

と想ってくれてありがとう。

好きになる努力はしたけれど、

私はサッカーを好きにはなれませんでした。

本当は野球がやりたいのに、

慣れ親しんだサッカー場から出るのが嫌で、

自分の気持ちを抑圧していました。

こんな私と仲間でいてくれてありがとうございました。

(野球とサッカーは例えです。)

 

モヤモヤが吹っ切れて来たぞ!!

そして更にモチベーションもUP。

 

感謝の力、すごすぎ!!

 

最後までお読みいただきありがとうございます。

 

2022年9月22日

【良い所ばかり観ていた結果】

~日常から得た気付きシリーズ~

昨年の11月23日。自身はこのブログで、

【極端な思考のデメリットとメリット】と題し、

こんなことを書いていた。

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極端な思考のデメリット:

ポジティブな面ネガティブな面があって

その人、その物事なのに、片方しか観ていないということは、

真実や本当の姿を観ることができないということ。

相手やその物事を偏った面でしか、理解できないということ。

それでも良いと割り切っているのであればよいが、

大事にしたい人間関係、大事にしたい事柄でそれをやってしまうと

非常に自身の人生にとって痛いことになってしまう。

 

極端な思考のメリット:

ネガティブを観ないのは気が楽だ。

気付かない振りをしていた方が楽だ。

しかしその「楽」はその時だけの「楽」であるように想う。

 

一時の楽をとるか、これからの人生に関わる大事なことをとるか?

答えは簡単だ。

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この投稿をしてから、約10カ月。

本当の意味でこれがわかる出来事がおきた。

マイメンター曰く、強制終了が起きる前段階だったと・・・

セーフ!!

自身は人生の中で何度強制終了

(その道は違いますよ、そっちの方向ではないですよのサイン)

がもたらされてきたことかわからない。

その大半が、病気。(肺炎、逆流性食道炎、うつ、骨折etc)

お金の損失もあった💦

 

今回の出来事はその一歩手前だったらしい。

自身は、お人よし過ぎて、(良い所しか観ていなくて)、

それが、強制終了が起こるような負のできごととも捉えられていなかったのだ。

気付かせてもらって本当によかった。

 

その出来事は相手もいることなので具体的には書けないが、

影響力のある人から圧力をかけられたり、

コントロールされていたということだ。

世の中には、相手の弱みやお人好しな所や優しさや利害関係に付け込んで、

その人を自分の都合のいいように操る人がいる。

長い人生、そういう人を実際観てきたし、

自身も後から想うと、その人の都合のいいように使われていたのかもしれない。

と想う人間関係はいくつかある。

(もしかしたら気付いてないだけで、もっとあったのかもしれない💦)

今回の出来事はどうやらそれに匹敵するらしい。

というか匹敵していたと認めざるを得ない。

その原因が、自身がその人の良い所ばかり観ていたこと。

そうは言っても、昨年上記のような文章を書いていたから、

ネガティブな面も観るようにはしていた。

しかし、それが甘すぎたのだ。

もっともっと深い部分でのネガティブな部分を見なければならなかった。

例え、その人のことを嫌いになっても、

自分を守るためであれば見なければならなかった。

前提として、自身は人を嫌いになることをもっともっと、

自分に許可を出さなくてはならないのかもしれない。

例え表面的には、みんなから好かれてっぽい人であっても、

自分がうさん臭いと感じたら、その直感を閉じ込めるのではなく、

サインとして受け止め、

一旦その人を疑ってみるということもしなければならないことを悟った。

その相手は、実際に良い所もある。そしてそれをアピールするのが上手い。

だからそこだけを見て、

私のようにその人を心から良い人だと想っている人も少なくない。

だが、影の部分も持っている。(人間だから当たり前かー。自身もあるし。)

だが、その陰の部分を、相手や周りに気付かれないように巧妙に出してくる。

(感の鋭い人は気付いている人もいるかもしれない。

感の鋭い人は警戒するから、

操れないのを分かっていて手出しはされないのかもしれない。)

私のように、人を疑いたくない人、相手の良い所しか観ようとしない人は、

格好のえじきだ。操りやすいから・・・

50歳にしてこの気付きはさすがに「遅!!」と想うが、

今気付けて本当に良かったと想っている。

この出来事によって、自身の新たなステージへの幕開けが観えてきたから・・・。

 

最後までお読みいただきありがとうございます。

 

2022年9月21日

【無意識下の嫉妬バトル】

~日常から得た気付きシリーズ~

自身は、酷い劣等感を抱いている。

そこから目を背けてきた。ということに気が付いた。

劣等感を感じないように、

自分の都合のいいように物事を捉え、ピエロを演じていたのだ。

ここの所、ちょっと疲れてるな~とは感じていた。

しかしその疲れが一体何なのか?というのは、

自分の見解とはズレていたことに気が付く。

何でも「更年期のせい」にするのではなく、

もう少し自分のマインドも観てあげなくてはいけなかったなと、

反省するのである。

(もちろん更年期もあるとは思うがそればかりではないということ)

普段はたいてい、いつも楽しいし、

ストレスも感じていないし、

(感じていないというか鈍感になっていただけだった💦)

疲れの原因がマインドにあるとは思っていなかった。

しかし、心のどこかでは、それにうすうす気が付いていたのかもしれない。

先日のマイメンターとのパーソナルセッションで、

気が付くと自らがその出来事のことを話題にしていたのであった。

話をしていく中で、1か月くらい前にあったプライベートでのある出来事のことを、

引きづっている自分に気付き、その出来事に劣等感を抱いていたということに、

気付いたのだった。

そして、マイメンターから客観的ご意見も頂き、

更に、あ~私は、ピエロを演じていたんだな~。ということに気が付いた。

人々を喜ばせるため、そしてそこから喜びを得るためのピエロだったら良い。

ピエロは本来それだ。

しかし私が演じていたピエロは、自分の劣等感を隠すためであり、

それを何となく見抜けてしまう人にとっては、

「あーはなりたくないよな~」とか、

「なんか見ていて気の毒」とか、

そんな感じの痛ーいピエロだったのだ。

そんなピエロを自分に演じさせてしまった自分に本当に申し訳なく想っている。

自分に対して、気が付いてあげられなくてごめんねという気持ちと、

マイメンターに対して、気付かせてもらって本当にありがとうと言う気持ちが、

心の中にうずうずとしているのだが、

まだしっかりとピエロだった痛ーい自分を受け入れれらていない自分もいて、

正直、ちょっとまだ心の中が完全には整理できていない感じもある💦

 

ここからは自身の見解なのだが、

自身はIQ(頭脳指数)は低くめだが、EQ(心の知能指数)は

だいぶ上がってきているのではないか?と感じている。

(自分で言うのもおこがましいし、

EQがめっちゃ高い人は自分のEQが高いとは言わないかも💦)

自身は、仕事に対する理解が早くて、実際にできる人、

要するにIQが高い人に無意識下で嫉妬していたのではないか?

だから、逆にIQは高いけどEQはいまいちという人から嫉妬を受け、

私が強い劣等感を抱かざるを得なくなるよな、

そしてその劣等感を感じたくなくてピエロまで演じてしうような、

「私の弱みを強調される」という出来事が起きたのではないか?

その出来事の引き金になったある人の言動は無意識下だし、

あくまでもこれは仮説であるので、

決してその人の言動がどうこうという文句を言いたいわけではない。

その「私の弱みを強調される」という出来事に対して、

心の奥底で、劣等感を抱き続けていた約1か月、

(もしかしたらその出来事が起きるずーっと前から抱き続けていたのかも)

自分の負の感情に気がついてあげられなかった自分を悔やんでいるのだ。

 

私には確かに今いるフィールドにおいて「致命傷」とも言える弱みがある。

だから、それを受容して、

できないならできないなりに、

自分のできることは一生懸命やったり、

できないことを助けて貰ったら、

別のできることでその人を助けたり。

直接その人を助けることができなくても、

例えば、目には見えないし、そんなことを評価してくれる人は少ないけど、

明るい場の雰囲気づくりに貢献するよう心掛けたり、

どうしたらみんなが、気持ちよく居られるようになるかな?

ということを考えて行動したりしてきた。

そういった想いや行動までが、無価値に想えてしまうほど、

なにか自分が哀れに感じた。

 

マイメンターからは、

プロ野球選手がサッカーの舞台では活躍できないのと同じで、

私は自分の能力を活かす舞台を選んでいないだけだとも、

フィードバックいただいた。

私は、新たな一歩を踏み出す時が来ているのかもしれない。

自分にピエロを演じさせなくて済む場所を自分に選んであげることも、

自分を大事にする生き方ではないだろうか?

 

最後までお読みいただきありがとうございます。

 

2022年9月20日

【くよくよすることが減る】

自己肯定感を高めるメリット№5 ~悩むことが減る③~

「くよくよ」の言葉の意味を調べてみると、

心を悩ませても仕方のないことにいつまでもこだわって,あれこれ心配するさま。

とある。

自身の特性(人間の特性?)から言って、

くよくよすることが多かったし、

今も全くないと言ったらそうではない。

ただ、そのくよくよする度合いが弱くなったし、

時間も短くなった。

今まではどうしよう?と心配していたことも、

何とかなるさ!とか、

そうなったらそうなったで、その時に考えよう!とか、

すぐに気持ちが切り替わるようになった。

そもそもどうしよう?とも思わなくなったこともある。

 

それは、思考の癖を直していったことが大きい。

思考の癖を直そう!!と意識しておこなっていたこともあるが、

例えば、どうしようではなく、どうしたらいいか考えよう(Howに変換)とか。

だが、

大半は、無意識のうちに「何とかなるさ!」が増えて行った・・・

そんな感覚がある。

その要因となっているのが自己肯定感の要素の1つである

自己信頼と考える。

 

自身は、マインドセットを学び始めた当初、

自己肯定感の重要性や必要性についても学んだ。

もちろんその時も、自己肯定感大切だよな~とは想った。

だが、どれだけ自己肯定感がその人の人生をも左右するほど大切なものなのか?

ということまで深く理解していなかった。

マインドセットを実践し、土台となる自己受容が整ってきて、

自分の人生が好転し始めて徐々に徐々に腑に落ちて行った感じがある。

自身は、自己否定の塊のような人間だったので、

そこに到達するまでに2年くらいはかかった気がする。

しかし、自己肯定感の重要性が実体験を通して感じられると、

そこからは、意識的に高めよう!!と努力してきた。

それが第二ステップの自己信頼である。

自己信頼を高めるために、

自分にはちょっとハードルが高い事にも挑戦してきた。

例えば、

マインドセットコーチングを伝えるインストラクター試験に挑戦したり、

Facebookでいいねボタンも押せなかった時代もあったのに💦)

トルコへ一人旅に行ったり、

(小さいツアー会社を使ったら、結果一人旅になったというだけだが💦)

その翌年には、飛行機チケット、宿、電車のチケットなど全て自分で手配して

スイスへ一人旅に行ったり。

(若い頃行った泊りの東京出張以外、国内ですら泊りの1人旅をしたことがないのに💦)

挑戦すると、初めてのことだから、わからないこともあるし、

失敗することもあるし、ハプニングも起きるし、

クリアしなければならない課題も色々出てくる。

しかし、1つ1つそれをクリアしたり、

失敗しても学びに変えたりしてやっていくうちに、

(そういう経験を増やしていくうちに)

気付いたら自分に自信が持てるようになり、楽観性も高まり、

私のことだからなんとかなる、

私のことだからなんとかならなそうなこともなんとかしちゃうんだろうな、

とか、

今考えてもしょうがないな。

心配しているようなことが起きたら起きた時に考えよう!

となったのである。

 

自己肯定感を無理に高めようね!!ということを言いたいのではないが、

高めることのメリットは、想った以上に大きいと実感している。

 

最後までお読みいただきありがとうございます。

 

2022年9月19日

 

【負のできごとから大切な気付きを得られる】

自己肯定感を高めるメリット№5 ~悩むことが減る②~

自身は、最近、

自分に決定権のないもの、

自分がコントロールできないもの、

相手次第なものなどに、

に囚われる時間が非常に減った。

 

その要因は「インサイドアウト」の捉え方、考え方に変わったからだ。

この原理を知り、これ意識する前までは、

何と上記のようなものごとに意識を向けていることが多かったことか!!

意識を向けるから、

考えてもしょうがないことを考えてしまったり、

負の感情が湧いてきたりして

それに囚われている時間が多かったな~と、

過去の自身を振り返り、客観視してみて

今改めて想うのである。

 

自身は「7つの習慣」でお馴染みのコビー氏が提唱する、

インサイドアウト(自分の内側が外側に影響を与える)」

という原理を知識として得るまでは、

物事に対する考え方、捉え方、観方が

典型的な「アウトサイドイン」であった。

だから、

負のできごとが起きた時、

上手くいかないことがある時、

失敗した時など、

自分の内側に原因を見つけるのではなく、

自分の外側ばかりに原因を見つけようとしていた。

例えば、仕事が辛いと感じた時、

環境のせいにしたり、

給与体制など処遇に不満を抱いたり、

仕事の与え方に問題があるのでは?と上司を責めたり。

(表現はしないが内心で・・・)

仕事の辛さを人間関係が原因と考えた場合でも、

相手がきつい性格だから仕方がない。

相手との相性が悪いから仕方がない。

自分は内向的な性格だから仕方がない。

その内向的な性格は、

社交的な家庭で育っていないせい

先祖から引き継いだDNAのせい

性格はそう簡単に変えられないから仕方ない

など、自分の在り方や、考え方、発する言葉、行動に

意識を向けることがなかった。

もちろん、上記のような原因は実際にあるので、

それを否定するということではない。

しかし、あまりにも極端に外側に原因をもっていくことには、

大きなデメリットがある。

それが、大切な気付きをキャッチできず、

成長のチャンスを逃すということだ。

この負のできごとからいったい何が学べるだろう?

自分の内側にどんな原因があるのだろう?

こういった自問をし、

こういった質問を考えるからこそ、そこから気付が得られるのだ。

アウトサイドインの捉え方だと、こういった自問は出てこない。

 

インサイドアウトの考え方を教えてもらったのは、マイメンター。

マイメンターと出会ったばかりの2015年3月である。

しかし、おっしゃってることは理解できても、

それがはたして実践できるかというと、

それはそれで、自身の場合はなかなかうまくいかなかった。

上手くいかなかった原因は大きく2つあると考える。

1つ目は、

長い年月アウトサイドインの思考で生きてきたので、

思考に癖がついてしまっていたこと。

2つ目は、

自己肯定感の土台となる、

自己受容がしっかり確立されていなかったこと。

インサイドアウトの考え方をする時に必要となってくるのが、

自分の内側にある原因を観るということだ。

できごとによっては、それが、

ずるい自分、情けない自分、みっともない自分、

ダメな自分、恥ずかしい自分など、

観たくない自分であったりする。

そういった自分の存在を認め、受け入れることで、

インサイドアウトの原理原則が発動するのである。

だから、先ずは、どんな自分も受け入れると決めること、

そして、自己受容という土台を強固なものとしていくことが、

インサイドアウトの基本であると自身は捉えている。

そして、インサイドアウトの原理原則を上手く活用できるようになると、

結果的に「自分にはどうすることもできないもの」について、

悩んだり、負の感情を抱いたりする時間が減るのである。

 

最後までお読みいただきありがとうございます。

 

2022年9月18日

【内づらと外づらのギャップに悩まなくなる】

自己肯定感を高めるメリット№5 ~悩むことが減る①~

自身は、

自分はどこか人と違っている、

クラスメイトと考え方が違う、

自分だけどこか幼稚?な気がする、

(単純すぎるというか、率直すぎるというか、楽観的過ぎるというか、、、。)

クラスから浮いている気がする、

自分は他の人と比べて変わっている・・・

成長するにつれて、

自分のことをこんな風に思うようになっていった小学校4~5年生位から、

次第に人と違う自分が恥ずかしいと想うようになり、

人に合わせたり、自分の意見を呑み込むということを覚えていった。

中学生になると更にそれがエスカレートし、

本当は自分の意見や気持ちや考えを表現したいタイプの人なのに、

誰かの意見と合わせたり、

「NO」とか「いやです」と言わなかったり、

言いたいことがあってもがまんしたり、

自分を抑圧するようになり、それが当たり前となっていった。

今から想うと、その時期と同じころからだったと想う。

家でイライラすることが多くなり、

母親にすごくきついことを言ってしまうことが増えた。

そして、言った後で自己嫌悪になる。

外では「良い人」でいられるのに、

家ではなんでこんなに「嫌な子」「嫌なやつ」になってしまうんだろう。

そんな苦悩を抱いていた思春期だった気がする。

 

そのころから、マインドセットを学び実践し始めるまでの約30年間、

四六時中、内づらと外づらのギャップに悩み続けていたわけではないが、

(20歳前後の友達と遊びまくっていた時や、

結婚前の幸せ期など精神的に調子の良い時もあったので)

かなりの時間悩んでいたのは事実だ。

 

心身の調子が悪い時、疲れている時など、

自分に余裕がないと、内面と外面のギャップが現れ、

そのたびに、自己嫌悪➡自己否定➡自己肯定感下がる

の悪循環のループに入って行く。

このループに入ると、

こんな自分は異常なのではないか?

脳に異常があるのか?精神疾患なのか?

普通の人とどこか決定的な違いがあるのではないか?

など、悶々と考えてしまう。

でも、考えているだけで、

実際にこんな自分をどうしたらいいのか、皆目見当もつかないし、

そもそもそんな自分を変えようなんて発想は思い浮かばないから行動も起こさないし、

(性格だから仕方がない、自分なんて変われないという諦めの前提があったからだと想うが、、、)

こんな自分を持て余し、

自分の存在を消したいという想いが募るだけだったのである。

 

こんな自身であったが、

今現在、内づらと外づらのギャップに悩むことがなくなった。

要因は大きく3つだ。

3つとも自己肯定感(自己受容・自己信頼・自己尊重)に紐づく内容だ。

 

1つ目は、自己受容だ。

そもそも、

「家族に見せる顔と、それ以外の人に見せる顔が違ってもいい。」

と自分に許可を出せるようになった。

もちろん、イライラをぶつける行為は良くない。

これは改善すべきだが、

例えば、そんなに関係性が深くない人であれば、はたから見て、

「こうした方がより良いのにな~」と想ったとしても、

単なるおせっかいになってしまい、不愉快な思いをさせるだろうという判断から、

敢えて言わないこともある。(自分が言う役割でもないので)

しかし、これが自分の息子であれば、息子が不愉快な思いをしたとしても、

親という立場である以上言うべきということは言う。

外では小言を言わない人、家では厳しい母、

という二面性を持っていてもOKと自分を受容できたことが大きい。

 

2つ目は、自己信頼。

自己肯定感が上がったことによって、

自分が素のままで存在することに自信を持てるようになった。

だから、ダメな自分や、ちょっとブラックな部分も外で出せるようになった。

(ブラックな部分の出し過ぎには気をつけているが💦)

従って、

自分を隠そう、他の人と合わせようということが激減し、

自分に無理して過ごす時間が減ったので、

ストレスも減り、イライラが家で爆発することも減ったのだ。

 

3つ目は、自己尊重。

自身が内づらと外づらのギャップに悩むことの中で、

一番辛かったのが、

本当に大切にしたい人は家族なのに、

その家族にイライラをぶつけてしまうことだった。

しかし、

自分を大事にすることができるようになると自己肯定感が高まり、

自己肯定感が高まるとさらに自分を大事にできるようになり、

自分で自分のことが大事にできるようになると、

家族を大事にする余裕も出る。

 

これが、内づらと外づらのギャップに悩まなくなったプロセスだ。

 

最後までお読みいただきありがとうございます。

 

2022年9月17日

 

 

【好奇心・意欲を取り戻す】

自己肯定感を高めるメリット№4 ~心身に余裕が出る⑤~

小学校低学年くらいまでの自身は、天真爛漫で、

自分が周りからどう見られているか?

とか、

自分にできるか?できないか?

とか、

これをやったらどうなるか?

とか、

そういったことを考えることはほとんど(一切?)なく、

思い立ったら即行動という生活を送っていた。

おもしろそうなこと、興味が湧くものを、

色々考えず全身で楽しんでいた。

あの頃の自分には「ストレス」という言葉は、

存在しないのではないか?

と想えるくらい、幸せな時間だったな~と、

大人になってたまーにそんなときの自分を想い出しては、

あの頃の自分をうらやましく想っていた。

特に、周りに合わせなきゃとか、

きちんとした大人(母、妻、嫁、会社員etc)にならなきゃとか考えて、

自分を抑圧して生きていた頃は、その想いが強かったように想う。

 

何故、幼少期の自分がうらやましかったのだろう?

前提に、

あの頃のような自分にはなれない、戻れないという、

マインドがあったからだ。

 

しかし、今は違う。

何故なら今は、幼少期のようにとまではいかないが、

かなり、あの頃に近い感覚で暮らせているからだ。

もちろん、社会性だとか、人との関わりだとか、

そういったことに気を配ることは大切だ。

だから、全てのことを自分の思うように、

自分のことだけを考えて行動しているということはない。

しかし、自分を抑圧することで感じていたストレスを

自分の感覚値で数値化してみると、

一番ピークだった頃は120~150

今では、多くて50、調子が良いと限りなく0に近い。

(0に近い時は休日を1人、気の向くままに過ごせたとき。など)

 

その要因は大きく二つあると考える。

1つ目は、

あの頃の自分には戻れないというマインドを、

本来の自分に戻り自分らしく自分を生きるのマインドに、

セッティングしなおしたから。

2つ目は、

自己肯定感UPだ。

 

1つ目の

本来の自分に戻り自分らしく自分を生きるのマインドにセッティングしなおした

というのは、正確に言うと、

無意識にセッティングしなおされていた

と言った方が正しいかもしれない。

自身は、7年前マイメンターと出会い、

マインドセットコーチングを学び、実践し始めた。

マイメンターが開講する一般向けの講座を受講もしたし、

その数年後からは自身もインストラクターとして講座に登壇するようになった。

その講座のテーマが「本来の自分に戻り自分らしく自分を生きる」であった。

この言葉に、数年の間で、

何度聴いたり、口にしたかわからないくらい触れてきた。

アファメーション効果と

自分自身も実際にそうなるように試行錯誤を繰り返していく中で、

マインドが本来の自分に戻り自分らしく自分を生きるへと

書き換わったと捉えている。

マインドが変わると、現実もそのように変わってくるのは、この世の原理である。

 

2つ目は自己肯定感UPだ。

自己肯定感が上がると、

自己受容、自己信頼、自己尊重が整うので、

自分軸で生きられるようになる。

自分軸とは、具体的どういうことかというと、

自分の言動について周囲にどう想われるか?と気にしなくなったり、

周囲に何と言われても自分の気持ちが正しいと思うことを選択したり、

今までは自分なんかにできるわけないと諦めていたものを、

自分なら出来ると考えられることが増えて行動に移せるようになったり、

ということだ。

 

50歳になった現在、

体の機能的な衰えはもちろん感じているが、

気持ちの面では、衰えるどころか、

どんどんどんどんどん若返っている感がある。

今、20代前半位まで下っている感覚だ。

どこまで、幼少期の頃の自分(本来の自分)へ

近づくことができるだろうか?

これからの人生が楽しみで仕方がない。

 

最後までお読みいただきありがとうございます。

 

2022年9月16日