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【自己受容と他者受容の関係】

【自己受容と他者受容の関係】

数年前まで私には、

「人を嫌ってはいけない」という信念があった。

しかもかなり強く、なんの疑いもなくそう信じていた。

恐らくだが、幼少期から

「皆と仲良くしなきゃいけないよ」

と周りの大人や社会から言われてきたから、

この信念が強く染みついていたのではなかったのかな?

と自己分析している。

 

その信念が強かったからだと思う。

誰かを嫌う自分に対して酷い嫌悪感を抱いていた。

(今もその名残は多少あるが・・・)

相手が、自分に対して明らかに、

意地悪をしている、見下している、

といった場合でも、

相手を嫌う自分に対して嫌悪感を抱いていた。

その嫌悪感を抱きたくなくて、

人の良い所ばかり観る癖がついていた。

逆に言うと、人の負の部分は観ないように、

観ても観ない振りをしていた。

他人を嫌うことに対する嫌悪感を抱かなくて済むからだ。

 

しかし、最近の私はかなり変わってきた。

他人の良い面ばかりでなく、

負の部分も観るように、観れるようになってきたのである。

 

その要因は大きく2つと考える。

1つ目は、

「嫌い!」という感情に素直になっていいと自分に許可を出せたこと。

嫌いな人がいたっていいじゃん!

自分に危害を与えてくる相手に、怒り、憎しみを抱くこと当然じゃん!

そこ無理して、嫌い!という感情を押し殺したり、

相手を悪く想う自分を嫌いになったりしなくていいんだよ。

と徐々に徐々に考え方を変えていったこと。

 

2つ目は、

自分の負の部分を沢山受け入れていったことで、

他者の負の部分も受け入れられるようになっていったこと。

自分の嫌いな所、ダメな所、隠したくなるような恥ずかし所を、

地道に受け入れていった結果、自分に沢山の負の部分があったにしても、

それでも、自分のことが好きだ!!という想いが強くなってきた。

たまーに、自分のこと嫌いになることもあるが、

基本的に自分のことは好き!という感情の方が強い。

それが、他者に対してもできるようになってきた。これが大きい。

例えば、

めちゃくちゃ大好きな人の中に、

「エーうそでしょ!!」って思うような、

いや~な一面を発見してしまったとしても、

そのいや~な行為は許せなかったとしても

(決して許してはいけない行為のこともある)、

それでもその人のことを好き!

と言えるようになったのだ。

だから、その人の負の部分を観るのが以前ほど怖くなくなった。

 

自己受容は他者受容に繋がる。

自己受容できればできるほど、

他者受容もできる。

よく、聴く言葉であるし、

理論的には理解できることではあるが、

実際にそれを自分が体験したのと、

そうでないのとでは、

納得感にかなりの差は生じる。

 

最後までお読みいただきありがとうございます。

 

2022年6月10日