【自己否定エピソード】
【自己否定エピソード】
自己否定で生きてきた40代前半までの自身を振り返り、
そのエピソードを語ることで、
反面教師的に世の中のお役に立てたらいいな~とふと思った。
当時は、自分が自己否定の塊だという自覚もなかったし、
(自己否定思考が自分の中で当たり前すぎて、
自己否定思考を自分が選んでいるということを認知していなかったし、
ネガティブ思考の性格だから仕方ないと自分のことを諦めていた感覚)
自己否定が、自分の人生と周囲にどれだけの悪影響を与えていたか?
ということもわかっていなかった。
うつ病も治り、自己肯定感を持てるようになった今だからこそ、
当時の自分客観視し、自分の至らなかった点が観えてくる。
その一例をご紹介しようと想う。
私は、料理が好きではなく、
料理があまり上手にできないことにコンプレックスを持っていた。
それに、気が付き、受容できたのはわりと最近だ。
料理嫌い、料理コンプレックスがある自分を、
受容できていなかった頃は、子供たちの子育て時期と重なる。
私の中の、女性、母親の理想は、料理ができることだ。
上手いに越したことはないが、
めちゃくちゃ料理上手ではなかったとしても、
・最低限のスタンダードなもの(ハンバーグ、カレー、グラタンなど)は
作ることができる。
・毎日3食(給食以外)きちんと自分の手で創ったものを提供できる
・栄養のバランスを考えたものを提供できる
(朝食:主食+野菜4種類以上+タンパク質2種類以上)
(夕食:主食+野菜5種類以上+タンパク質3種類以上)
以上のことを、自分に課していた。
プラスして、自分に厳しい性格だったので、
自分が疲れているから、さぼりたいから、
という理由で手を抜いたり、外食に行ったりすることは、一切なかった。
下の子が中学に上がるまで、
カップラーメンを食べさせたことはほとんどない。
そんな私だったのだが、
次男が中学になったタイミングで正社員になり、
入社当初は、時間にも気持ちにも余裕がなかった。
最初のうちはそれでも頑張って、子供たちの食事は作っていたのだが、
人にものを頼めない性格が少しづつ緩んでいたのもあり、
夕飯は同居の母に作ってもらうように自然となっていった。
先日、今一人暮らしをしている次男と、
食事についての話題となった。
一人暮らしをしていると、作られた食事が、
頼まなくても食卓に並んでいたことのありがたみが
わかったようだった。
しかし、話に上がってくるのは、おばあちゃんが作ってくれた食事のことばかり。
次男が高校生の頃は、
朝寝坊して食べない、
昼食も友達との付き合いを優先して隠れて捨てている
等の理由から、かなり手を抜いていたのは確かだ。
しかしそうはいっても、中学1~2年生くらいまでは、
本当に頑張って上記のことを自分に課して作っていたのに・・・。
その記憶はほとんど残っていないらしい。
何故か?
おばあちゃんとの違いは?
おばあちゃんは、とにかく、
美味しものを食べさせたい、
喜んでもらいたい、
そういうスタンスで料理を作っていた。
私はというと、
自分のコンプレックスを隠すため、
これをやっていれば誰からも文句は言われない、
ただ単に自分を満足させるための理由から
作っていた気持ちが大部分を占めていた。
この違いは、同じ料理を作るという行為をしていても、雲泥の差だ。
別に、疲れてるの我慢してまで完璧なもの作ってなんて、
誰からも頼まれていないし、
疲れて、イライラした食卓になるくらいなら、
外食で楽して、笑顔で食べたほうがよっぽど良い事もある。
一番の原因は、料理が嫌い、料理コンプレックスがある自分を
受容していなかったことにあったのではないかと想う。
料理が嫌い、料理が苦手と言うことを受容していれば、
料理嫌いなのに頑張って料理をしている自分をほめてあげることも出来ただろうし、
料理が上手くないならないなりに、
できることは無いかな?なにか手段はないかな?
という視点がもてたのではないか?
自分はやればこなせる、できるという変なプライドがあるがために、
こういう視点を持つことができなかったが、
上記のような質問を自分に投げかけていたら、
料理教室に行ってみるか~と当時なら想ったかもしれないし、
外食は週1回でも良いか~と自分に許可を出せていたかもしれないし、
子供を含めた他の家族に協力をしてもらうことも考えたかもしれない。
私の、自己満のために、
子供たちは良い迷惑だったんだろうな~と今更ながら想う💦
そして、自分自身も、幸せではなかった。
ただただ、料理嫌いな自分、料理がそれほど得意でない自分を、
受け入れてさえすれば良かったことなのに・・・。
最後までお読みいただきありがとうございます。
2022年4月30日