【自己肯定感バイアス】
~一見自己肯定感が高そうな人~
いつも堂々としていて、はきはきしていて、声も大きくて・・・
昔の私は、こんな人を自己肯定感が高い人と想っていた。
堂々と、はきはき、声が大きい、こういう時、
その人は確かに自己肯定感が高いかもしれない。
そこの部分だけを切り取って観れば、自己肯定感は高いと言えるであろう。
しかし、それ以外の一面を見る必要があるのではないか?
と、最近になってよく感じるのである。
例えば、堂々と、はきはき、声が大きい、AさんとFさんがいるとしよう。
そして、小さなミスをしたときのAさんとFさんの
異なる行動を例にしてみようと想う。
ここでポイントなのは小さなミスという点。
大きなミス、明らかに自分のミスというミスをした場合の方が、
かえって人は潔くそのミスを認めるからである。
ミスをしたときAさんはその大小に関係なく、
ミスをしたことにより迷惑をかけてしまった人や、
サポートをしてくれた人に、ありがとう、ごめんなさいを言う。
ミスをしたときFさんは、
ごまかせそうな小さなミスだったら胡麻化したり、
誰かのせいにできそうだったら誰かのせいにしたり、
自分には責任が無いことをアピールしたりする。
Aさんは、自分のプラスな面だけでなくマイナスな面も受け入れる
器があると推測される。自己受容は自己肯定感の土台となる部分なので、
自己肯定感もおのずと高い可能性が大きい。
Fさんは、例えばだが、仕事が上手く回せている自分など、
自分の良いところには自信満々だが、
自分のマイナスな面には目を向けない、
言い過ぎかもしれないが拒絶している。
マイナスな面を自己否定しているとも推測される。
真の自己肯定とは、自分のプラスな面、マイナスな面、
全部ひっくるめて受け入れること、
全部ひっくるめて自分を好きであること、であるから、
自分のプラスな面だけに自信がある(自己肯定する)ことは、
自己肯定感バイアス(←自分が勝手につけたネーミング)であると考える。
ここからは自身の主観だが、
自分の負の部分をあまりにも観ない人は、
他人の負の分を逆に沢山観ている気がする。
そして、相手の負の分を責める。(口に出しても出さなくても)
何故なら、自分がその負の部分を受け入れていないということは、
他人のそれも受け入れられないからである。
自分の中に偏りがあると、
その均衡をとろうとするのではないだろうか?
逆もあって、
過去の自身のように、自分の良い所を見つけようとしない人は、
他人の良い所ばかり目が行って、それをうらやんだり、
自分と比較してさらに自己卑下が加速したりもする。
Aさんのように自分の中で、均衡がとれている人は、
他人を観る目もフェアであることが多いように感じる。
あくまでも主観だが、
自身や、周囲の人を観察すると、そういう傾向性があるように想う。
これのエビデンス情報はないだろうか?(笑)
最後までお読みいただきありがとうございます。
2022年11月22日