【「気のせい」を使わなくなっていた】
~ビフォーアフター~
自身は、自己肯定感が低い頃(自己否定が強かった頃)
セルフトークの中で「そんなん、気のせい、気のせい。」
という言葉をよく使っていた記憶がある。
セルフトークで使っている言葉は無意識に、
誰かにも使っていることがあるので、
きっとセルフトークだけではなかったのではないかと推測される。
何故、「そんなん、気のせい、気のせい。」が、
習慣化せれていたのだろう?
①気にしすぎな性格に蓋をするため
②向き合わないことでその時は気が楽なため
大きくこの二つと考える
①について
自身は小さい頃から、
「神経質だ」とか、「気にしすぎだ」とか、
「なんでそんなこと気にするの?」とか、
よく周囲から指摘されていた。
その指摘の多くが、
批判的というか、悪い意味で言われている感じだった。
だから、気にしすぎな性格、神経質な性格は、
「悪い事なんだ」とずっと思っていたため、
そんな「気にしすぎな性格」が自分の中に現れてきたとき、
「そんなん、気にしすぎ。気にしすぎ。気のせい。気のせい。」
と呪文のように唱えて、「気にしすぎな性格」を
閉じ込めていたように想う。
②について
ネガティブな感情を抱いた時、
よくこの言葉を使っていた気がする。
不安な時、寂しい時、怖い時、惨めな時、憤りを感じている時・・・
「そんなん、気のせい。気のせい。」と
その感情に蓋をしたり、見て見ぬふりをした方が、
その感情を味わずにすむから気が楽なのだ。
しかし、最近、「気のせい」という言葉を使わなくなったな~
ということにふと気が付いた。
たとえ、もし「気のせい」という言葉が思い浮かんだとしても、
「本当に気のせいか?!!!」と自分に突っ込みをしているであろう。
なぜ、「気のせい」を使わなくなったのか?
別に、無理矢理、「気のせい」を使わなくしよう!!と
意気込んだわけではない。
①に関しては、
神経質であること、気にし過ぎであることが、
「悪い事」という固定観念がなくなったことが大きい要因と考える。
一番影響が大きかったのは、HSP(ハイセンシティブパーソン)が
およそ20%の割合で世の中に存在するという知識を得て、
自身も単にその20%の人だったんだということを理解したことが大きい。
②に関しては、
ネガティブな感情を押し込めるのではなく、
受容した方が後々まで楽だということを理解したことが大きい。
ネガティブな感情と向き合うのは、
その時は辛いし、事と場合によっては、
なかなか向き合えないこともある。
でも、逃げずに向き合い、その感情を受容できた時、
何とも言えないすっきり感が得られ、
後々にもその時感じた負の感情に引っ張られることが極めて減る。
なにも「気のせい」という言葉を使ってはいけないということではない。
どうしても向き合いたくない時、「気のせい」にしておいた方が、
やはり気が楽というメリットもある。
そのメリットを有効に使う場合もあってもいいと想う。
自身は、痛みに耐えなければならない時など、
痛みを少しでも感じなくするために、
「気のせい気のせい」を使うこともある。
使い方、使う時の意識、バランスが大事と考える。
最後までお読みいただきありがとうございます。
2022年11月1日