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うつからのキセキ☆

【楽しみ下手】

【楽しみ下手】

過去の自分を振り返ると

楽しみ下手だったな~とつくづく思う。

今も、決して楽しみ上手というわけではないが、

過去の自分に比べたら、かなり改善はされている。

 

過去の自分が楽しみ下手だったな~と想うポイントは大きく二つ。

①自分のやること1つ1つにジャッジをする

②今この瞬間に意識がない。

この2つだ。

 

①に関してだが、別ジャッジをすることが悪い

と言っているわけではない。

ただ、自分が

楽しいか楽しくないかとか、

心地よいか心地よくないか、

という感覚での判断なら良いと想う。

しかし、

ジャッジをする基準が、

周囲の目を気にするであったり、

母親とはこういうもんだよな~

と勝手に創った自分のセルフイメージであったり、

社会人とはこうあるべきという、

あまり合理的ではないビリーフであったり。

こういったことを基準にジャッジが入った時は、

たいてい、楽しめていないからだ。

例えば、周囲から「そんなことにお金使って!」と責められはしないか?

(実際言われたことはほとんどないと思うのだが💦)

母親に休日はない。家のこと子供のことをきちっとやるのが最優先だ。

働かざるもの食うべからず。

忍耐 = 美徳

などなど。

 

例えば、掃除をするという行為。

これ片付けたら、すっきりしそうだよな~

気持ちいいよな~と想ってやるのと、

ただ義務的に、やらなきゃ、やるべきと想ってやるのとでは、

同じ行為でも、味わう感情が全然違う。

昔の私は、体調が悪かったり、めちゃくちゃ疲れていて、

とても掃除をやるなんて言う状態でない時でも、

やらなきゃ!という義務感だけやっていた。

そういうときは、辛さしかなかった。

しかし、母親とは家事を完璧にするもの、

忍耐 = 美徳

この考え方があったために、

掃除をするのは良い、やらないのは悪いというジャッジがあった。

だから、無理してでもなんでもやるのは良くて、

理由はなんであれ、やらない自分は「悪い」となり、

もし仮に掃除をやらない選択をしたのであれば、

(よほどのことがない限りそういう選択はしなかったが)

自己否定に落ちていくという悪循環。

日常のありとあらゆることが、

良い行為、悪い行為というのが判断基準だったので、

いちいち、自分のやっていることが合っているか?

これで大丈夫か?と不安だったし、

同じ行為をするでも、ほとんど楽しめていなかったように想う。

 

今も、楽しみ下手だな~と感じることもまだある。

特に、お金を使うことへの不安?恐れ?罪悪感?のような、

どんよりした負の感情が湧いてくる。

こういうときはやはり、

これにお金使っても良い?悪い?という質問を

自分に投げかけている気がする。

そして買った後も、こんな自分は合っているか?大丈夫か?

というセルフトークをしている気がする。

そのセルフトークを繰り広げている時は、Enjoy感も半減💦

MindLabo、ジェラート、本

これ以外のことにお金を使う時に

これらの感情が湧き上がってくるのは自覚がある。

何十年も慣れ親しんできた感情だから、

焦らず徐々に徐々に手放していこうと想う。

実際、昔よりはだいぶ手放せてきているんだから・・・。

 

最後までお読みいただきありがとうございます。

 

2022年5月2日