【楽しみ下手】
【楽しみ下手】
過去の自分を振り返ると
楽しみ下手だったな~とつくづく思う。
今も、決して楽しみ上手というわけではないが、
過去の自分に比べたら、かなり改善はされている。
過去の自分が楽しみ下手だったな~と想うポイントは大きく二つ。
①自分のやること1つ1つにジャッジをする
②今この瞬間に意識がない。
この2つだ。
①に関してだが、別ジャッジをすることが悪い
と言っているわけではない。
ただ、自分が
楽しいか楽しくないかとか、
心地よいか心地よくないか、
という感覚での判断なら良いと想う。
しかし、
ジャッジをする基準が、
周囲の目を気にするであったり、
母親とはこういうもんだよな~
と勝手に創った自分のセルフイメージであったり、
社会人とはこうあるべきという、
あまり合理的ではないビリーフであったり。
こういったことを基準にジャッジが入った時は、
たいてい、楽しめていないからだ。
例えば、周囲から「そんなことにお金使って!」と責められはしないか?
(実際言われたことはほとんどないと思うのだが💦)
母親に休日はない。家のこと子供のことをきちっとやるのが最優先だ。
働かざるもの食うべからず。
忍耐 = 美徳
などなど。
例えば、掃除をするという行為。
これ片付けたら、すっきりしそうだよな~
気持ちいいよな~と想ってやるのと、
ただ義務的に、やらなきゃ、やるべきと想ってやるのとでは、
同じ行為でも、味わう感情が全然違う。
昔の私は、体調が悪かったり、めちゃくちゃ疲れていて、
とても掃除をやるなんて言う状態でない時でも、
やらなきゃ!という義務感だけやっていた。
そういうときは、辛さしかなかった。
しかし、母親とは家事を完璧にするもの、
忍耐 = 美徳
この考え方があったために、
掃除をするのは良い、やらないのは悪いというジャッジがあった。
だから、無理してでもなんでもやるのは良くて、
理由はなんであれ、やらない自分は「悪い」となり、
もし仮に掃除をやらない選択をしたのであれば、
(よほどのことがない限りそういう選択はしなかったが)
自己否定に落ちていくという悪循環。
日常のありとあらゆることが、
良い行為、悪い行為というのが判断基準だったので、
いちいち、自分のやっていることが合っているか?
これで大丈夫か?と不安だったし、
同じ行為をするでも、ほとんど楽しめていなかったように想う。
今も、楽しみ下手だな~と感じることもまだある。
特に、お金を使うことへの不安?恐れ?罪悪感?のような、
どんよりした負の感情が湧いてくる。
こういうときはやはり、
これにお金使っても良い?悪い?という質問を
自分に投げかけている気がする。
そして買った後も、こんな自分は合っているか?大丈夫か?
というセルフトークをしている気がする。
そのセルフトークを繰り広げている時は、Enjoy感も半減💦
MindLabo、ジェラート、本
これ以外のことにお金を使う時に
これらの感情が湧き上がってくるのは自覚がある。
何十年も慣れ親しんできた感情だから、
焦らず徐々に徐々に手放していこうと想う。
実際、昔よりはだいぶ手放せてきているんだから・・・。
最後までお読みいただきありがとうございます。
2022年5月2日