【肯定的に捉えている自分に気付く】
~過去を振り返る機会から得た気付き~
自身は、40代前半まで
(マインメンターと出会ってマインドセットコーチングを学ぶまで)
自己否定の塊のような人間だった。
だから、かなりの割合で物事を否定的に捉えていたことは確かだ。
なにか嫌なこと、負の出来事、望まない出来事が起きると、
自分はやっぱりついてない、さいてーと想うだけで、
そこからな何かを積極的に学ぼうとすることは無かった。
しかし、それでも人は色々な経験をする中で、
積極的に何かを学ぼうとしなくても、
ネイティブにそこから気付きや学びを得て、
素直に受け入れていることもあるんだなということに改めて気が付いた。
自己否定の塊だった頃、足を骨折したことがある。
子供がまだ小学生で、家事・育児・パートにと
忙しくやっていた時期だったし、
何よりその痛みの辛さと生活の不自由さには大変な苦労があった。
自分の不注意による骨折だったため、
もちろん自分を責めに責めて悔やんだりもしたが、
骨折したからこそわかる様々な気付き、学びが、
痛みや生活の不自由さに勝るぐらい価値があったため、
骨折という負の出来事にも、案外前向きであった自分もいたな~と
振り返ってみて改めて想うのである。
こういったことを探してみると、案外、
肯定的に捉えていたこともあったな~と想うのである。
例えば、小学生のころピアノが買ってもらえなかったことを、
すごく根に持っていたし、
自分の気持ちを分かってもらえない親を恨んだり、失望したりもした。
でも、自分が親になった時に、
子供がやりたい!といった習い事はできるだけやらせてあげよう!
だとか、可能か不可能かは別として、
気持ちを聴いてあげることだけはしてあげようという教訓になったので、
あの時の経験はあの時の経験でよし!とできたし、
例えば、あまり旅行に連れて行ってもらえない家庭に育ったことが、
恥ずかしくもあり、どうしてうちの親は!と親を恨んだりもしていたが、
その反動のせいか、自分が大人になって自由に旅行できることに、
大きな喜びを感じることができたから、あれはあれでよかったとも
思えていたり。
自己否定の塊のような自身であっても、
数は少ないが、肯定的に捉えられていたこともあったのだから、
過去の私ほど自己肯定感が低くない人は、
もっと沢山、物事を肯定的に捉えられていることがあるはずだ。
だが、それに気付けている人がどれぐらいいるだろう?
あなたはご自身の自己肯定感は高い方だと想いますか?
そう質問した時、どうどうと「はい。高いです!!」と、
答えられる日本人は少ないであろう。
しかし、そんな人の中にも、案外、
物事を肯定的に捉えている人はいるのではないだろうか?
ものごとを肯定的に捉えている、
捉えられている自分に気付き、自覚し、
様々な物事に対して、肯定的に捉える習慣ができたら、
今ある自分の中の自己肯定感をさらにパワーアップできるのではないか?
そう想うのである。
まずは気付くこと。
そして習慣化すること。
わずかな変化でも積み重なると、
数カ月、数年後には大きな成果となっている。
自身がそうであるように・・・。
最後までお読みいただきありがとうございます。
2022年10月22日