【変化を楽しめるようになる】
~自己肯定感が上がって得られたもの~
自己否定の塊だった頃の自身は、
保守的がモットーだった。
口に出して、
「自分は保守的だし、保守的を好む。」
と明言していたくらいだ。
実際、できるだけ同じルーティンで日々過ごすのを好んでいたし、
新しいことを始めると、
エネルギーもいるし、
何より、「失敗」するのが嫌だった。
後悔したり、恥ずかしい思いをするのが嫌だからだ。
だから物事を選択するときの基準は、
「無難な方」という選び方だった。
マイメンターと出会い、
自己肯定感が上がったり、
物事の考え方が変わった後でも、
昔の癖で時々、「無難な方」という選択をしてしまっていた。
たまたま、マイメンターの前で、
「無難」という言葉を口にした場面があったのだが、
その時のマイメンターはこうおっしゃった。
「無難という言葉に久しぶりに触れた。
私の中に無難という言葉が無いから。」と・・・。
私はその言葉にはっとした。
上手くいっている人は「無難」という言葉が、
存在すらしないのだな~と。
自身も当時だいぶ、
「無難な方」という選択をしなくなってはいたものの、
それだけでは甘い、
自分の中からデリートする!
くらいの意識が必要なんだと想ったのを覚えている。
決して保守的が悪いといっているのではない。
例えば地域の行事など、
長年同じことを繰り返しているのには、
それなりの理由があるからだ。
ここでいいたいのは物事を選ぶときの、
基準の話をしている。
最近の自身の選択基準は、「感情」だ。
知識として、
わくわくする。楽しい。心地よいなど、
プラスな感情を基準に選んだことの方が物事が上手くいく。
ということを学び、
最初は勇気のいることもあったが、
そういう選択の仕方をしていると、
本当に、物事が上手く回り出すのだ。
もちろん、そちらの選択をすると、
変化は間逃れない。
やったことのないことが多いからだ。
時には清水の舞台から飛び降りるぐらい勇気がいることもあった。
しかし、そういった経験を繰り返していると、
失敗しても何とかなるということがわかってくるし、
失敗して恥ずかしい!と想うこともほとんどなくなっていく。
その要因の大きな一つに自己受容があると考える。
まあ失敗するのも自分か!とか、
失敗も経験だよね!とか、
失敗する自分やできごとを受容できるようになるのだ。
これができるようになると、
そこまで恥ずかしい!!というふうにはならない。
恥ずかしい!!より、変化することの楽しみの方が、
何倍、何十倍と想えるようになる。
自己肯定感が低い頃の自身は、
穏やかな波の海に好んで居た。
だがそんな海でも、時々くる大きな波に、
飲み込まれたり、おぼれたりしていた。
自己肯定感が以前よりは格段に高まった今は、
変化という波に乗れるようになった。
サーフィンをするように楽しいと想えるようになった。
次のステップは、
サーファーが高い波を求めて海選びをするように、
自身もちょっと高い波の波乗りに挑戦してみたいと想うのである。
最後までお読みいただきありがとうございます。
2022年10月12日