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うつからのキセキ☆

【提案という名の命令】

【提案という名の命令】

やっちまったなー。

提案しているつもりの命令を・・・。

現在専門学校生の次男。

25日から1月10日まで冬休みとのことだ。

 

私:休み長いね~。何するの?

息子:まー友達に会ったり、いろいろ・・・。

いまいち、返事が曖昧。

特にこれ!!というイメージが無いように感じられた。

 

今から想うと、

だらだら過ごしてあっという間に

休みが終わってしまった。

なーんてことにならないか?

という不安が私の中によぎったのだろう。

息子に、休みの過ごし方をアドバイス

こうしてみたら?

あーしてみたら?

と並びたて、

めんどくさい。という次男に、

めんどくさいと言っている場合ではない。と、

半ば説教。

提案のつもりが、いつしか命令になっていた。

しかし、提案という名の命令になっていたことに

気が付いていなかった。

 

それに気付くきっかけが、訪れる。

本だ。

私は、いくつかの本を並行して毎日少しづつ読み進めている。

その中の一つ、

鈴木義幸著「コーチングが人を活かす」の中の

本当の提案をするという項目の所に

こんなことが書かれていた。

以下、本の内容を抜粋。

『本来提案は、イエスというかノーというかの選択を相手に完全に委ねてはじめて成立するものです。ところが会社でも学校でも、上位にいる人が下にいる人に向かって、本当の意味での提案をする姿はあまり見かけません。「プレゼンの資料に市場動向レポートも入れたらどうだ」「もう少し英語に力を入れたほうがいいんじゃないか」形態は提案ですが、ほとんど「命令」だったり、「おせっかい」だったりします。命令やおせっかいは、どうしても、「やらされている」というところに相手を導いてしまいます。「イエスでもノーでもいい、判断はお前に任せた」というトーンで語られたとき、相手はその問いかけを「提案」として受け入れることができます。』

 

これを読んだとき、自身の行動を振り返り、気が付いた。

まさに親という上位にいる立場から、息子という下にいる人に向かって、

提案もどきの命令をしてしまっていたんだなー。

「やらされている」というところに導いてしまったから、

息子の口から「めんどくさい」が出たんだなーと。

 

その直後、息子から

私がした提案もどきの命令はやらないことにした。

と聞かされる。

断ってくれてよかった。

危うく息子に、自分の本意ではないことを

やらせてしまうところであった。

セーフ。

 

もしかしたら、

提案という名の命令

日常でも無意識にしているかもしれない。

逆にされているかもしれない。

意識する必要がある。

そう想う出来事であった。

 

 

2021年12月28日