【提案という名の命令】
【提案という名の命令】
やっちまったなー。
提案しているつもりの命令を・・・。
現在専門学校生の次男。
25日から1月10日まで冬休みとのことだ。
私:休み長いね~。何するの?
息子:まー友達に会ったり、いろいろ・・・。
いまいち、返事が曖昧。
特にこれ!!というイメージが無いように感じられた。
今から想うと、
だらだら過ごしてあっという間に
休みが終わってしまった。
なーんてことにならないか?
という不安が私の中によぎったのだろう。
息子に、休みの過ごし方をアドバイス。
こうしてみたら?
あーしてみたら?
と並びたて、
めんどくさい。という次男に、
めんどくさいと言っている場合ではない。と、
半ば説教。
提案のつもりが、いつしか命令になっていた。
しかし、提案という名の命令になっていたことに
気が付いていなかった。
それに気付くきっかけが、訪れる。
本だ。
私は、いくつかの本を並行して毎日少しづつ読み進めている。
その中の一つ、
鈴木義幸著「コーチングが人を活かす」の中の
本当の提案をするという項目の所に
こんなことが書かれていた。
以下、本の内容を抜粋。
『本来提案は、イエスというかノーというかの選択を相手に完全に委ねてはじめて成立するものです。ところが会社でも学校でも、上位にいる人が下にいる人に向かって、本当の意味での提案をする姿はあまり見かけません。「プレゼンの資料に市場動向レポートも入れたらどうだ」「もう少し英語に力を入れたほうがいいんじゃないか」形態は提案ですが、ほとんど「命令」だったり、「おせっかい」だったりします。命令やおせっかいは、どうしても、「やらされている」というところに相手を導いてしまいます。「イエスでもノーでもいい、判断はお前に任せた」というトーンで語られたとき、相手はその問いかけを「提案」として受け入れることができます。』
これを読んだとき、自身の行動を振り返り、気が付いた。
まさに親という上位にいる立場から、息子という下にいる人に向かって、
提案もどきの命令をしてしまっていたんだなー。
「やらされている」というところに導いてしまったから、
息子の口から「めんどくさい」が出たんだなーと。
その直後、息子から
私がした提案もどきの命令はやらないことにした。
と聞かされる。
断ってくれてよかった。
危うく息子に、自分の本意ではないことを
やらせてしまうところであった。
セーフ。
もしかしたら、
提案という名の命令
日常でも無意識にしているかもしれない。
逆にされているかもしれない。
意識する必要がある。
そう想う出来事であった。
2021年12月28日