【高揚感の表現方法】
【高揚感の表現方法】
私は、高揚感を公共の場で表現してしまう自分が嫌いだ。
具体的にどうなるかというと、
誰かと会話していて、自分のトークがさく裂しだすと同時に
高揚感が上がっていき、
高揚感が上がると、次第に声が大きくなり、トーンも高くなって、
気が付いたら私がしゃべっていることが
周囲に丸聞こえということがしばしばある。
別に、周囲に聞かれて困ることは話していないから話の内容を
聴かれたことは良しとして
周囲の冷ややかな目にも気付かず、
テンションが上がって、
有頂天になっている自分をイメージすると、
恥ずかしくて仕方ないのである。
途中、そんな私の言動を、
注意してくださる方もいる。
非常にありがたいのだが、
注意してくださった方に対してものすごく恥ずかしい気持ちになる。
以前、家族とレストランに行って、
それをやってしまって、息子から注意を受け、
顔から火が出るほど恥ずかしかったのと、
息子に恥ずかしい想いをさせてしまった
罪悪感でいっぱいになってしまった。
高揚感を公共の場で表現してしまうと
必ず自己嫌悪に陥り、
味わった高揚感の何倍も恥ずかしい気持ちになる。
そして自己肯定感も激下がりとなる。
なんとか、高揚感が上がっている自分に自分で気が付いて、
その場の雰囲気にあった表現ができないモノか?
うつが酷く、花を観ても、青空を観ても、
きれいとも感じなかった頃は、
高揚感って何?って
想い出せないくらい、
ハイテンションになるなんてことは無かったから、
その時のことを想えば
高揚感を感じること自体はうれしいし、
贅沢な悩みなのかもしれないとも想う。
今読み進めている本(「人を動かす」アンソニーロビンズ著 本田健訳)
の中で、対策としてやってみよう!!と想うことが書いてあった。
人は知的な計算よりも、「本能・感情」で動く生き物なのだそうだ。
だから私の行動まずはそういうものなんだ
と認めることができ少しほっとした。
そして人間の行動は苦痛と快楽という本能によって決まるのだそうだ。
苦痛と快楽をそれぞれ何と結びつけるかによって行動は変えられる。
例えば禁煙をしようと想ったら「喫煙は苦痛で在り、禁煙は快楽である。」という
連想を確立すればよいとのこと。
公共の場で高揚感を表現するのは
後から罪悪感と羞恥心という苦痛が待っているんだよ。
高揚感を自分でコントロールできたら
自分への成長を感じられ快感なんだよ
この連想を確立することを習慣化してみようと想う。
2021年6月19日