【潔く手放す】
【潔く手放す】
先日、「雪の華」という映画を
アマゾンプライムで観て号泣。
あの感じをまた味わいたくて、
別な映画を観る。
その映画は、
俳優さんの演技も上手いし、
私の好きなハワイが舞台だし、
純愛ストーリーも非常に良かったのだが、
笑いの要素が沢山取り入れてあったため、
涙のシーンも、笑いに変わるような映画だった。
(ストーリーの概要をしっかり見ていなかったため💦)
号泣で余韻に浸るという目的を達成できず、
未完了感が残った。
そのもやもやが、なんとなく心に残っているのと、
「雪の華」を観た時の、
心のきゅんきゅんをまた感じたいという欲求が抑えられず、
そこまで時間に余裕があるわけでもないのに、
また別な映画を観始めた。
40分~50分見た時点で、感動のシーンは出てこない。
2番目に観た映画のように、この先のストーリーに
どんな展開があるのだろうというわくわく感もない。
そう感じながらも、さらに20~30分見続けただろうか?
そしてふと気づく。
別に今、最後まで観なくてもいいよなーと。
いったん中断し、別のことをやる。
そして、再度その映画の続きを観たいか?
と考えたら、別にどっちでもいいや。
と想っている自分に気が付く。
「雪の華」を観た時は、映画に引き込まれ、
時間を忘れてみていた。
2番目に観た、ハワイが舞台の映画は、
お目当ての号泣シーンは無かったが、
ストーリーの展開がおもしろく、
こちらもごく自然に2時間ノンストップで楽しめた。
しかし、3番目の映画は違った。
私には、引き付けられる要素が少なかったのだ。
私は、何故、最後まで見続けねば!
と想って観ていたのだろう。
過去を振り返ってみると、そういえば、
映画は最初から最後まで通しで観ることを
当たり前としていた気がする。
例えば、レンタルで借りてきた映画のDVDも、
いまいちと想いつつも、
最後まで全部観て返していた。
何故だ?
レンタルの場合、レンタル料金がもったいないという想い。
途中まで観た、その数十分の時間がもったいないという想い。
自分にとってはいまいちだったことを認めたくないという想い。
そんな想いが強かったように想う。
しかし、それは、打算的考え方だったなと想う。
その想いに負けて、
ほんとはあんまりおもしろいと想ってないものに、
時間とエネルギーを費やしてしまったことの方が、
はるかに痛手が大きい。
今回のことが良い学びになった。
この映画、おもしろくないかも。なんか気が乗らない。
と想ったら、まずはその想いを一旦受け止めて、
中断という選択肢を持とう。
冷静になった時、自分の中の答えが見えてくるからだ。
そして、その答えによっては、
それまでに費やした、時間、エネルギーを潔く手放していこう。
そう想った。
これは、映画だけではなく、何にでも言えることかもしれない。
2021年12月13日