【できそうなことから始めればいい】
~安堵感を与える情報を発信する~
先日、マイメンターがある講演を依頼され登壇した。
ありがたいことに、アテンドという役割を与えてもらい、
その講演に参加することができた。
アテンドの職務を遂行することが1番の役割であるが、
講演に参加していれば、必然的に講演の内容が耳に入ってくる。
完全に受講者となって聴講しているわけではないが、
受講者としての学びも得らている。
アテンドという貴重な経験をさせてもらっているだけでもありがたいのに、
プラスして、受講者としての学びも得られるなんて、
何て私はラッキーなのであろうか?!!!
この日も、アテンドとしての気付き学び、
受講者としての気付き学び、様々あったが、
もう一つ、自身が発信する側の立場での気付きが得られた。
それが今日のタイトル
できそうなことから始めればいい
を、伝えることである。
この講演は小学生の親を対象とした講演だった。
ネタバレ、著作権の関係もあるので、
講演の内容や進め方など細かいことは書けないが、
もし、自身がこの講演を、
自身が子育て真っ最中の時に聴いていたら、
もっと、
子育てが楽しめたかもしれない、
子供とのコミュニケーションがとれていたかもしれない、
子育ての悩み、辛さを軽減できていたかもしれない、
と想う講座だった。
何故そう想ったか?
安堵感だ。
講演の中に、いくつも安堵感を得られる要素が散りばめられていた。
母親はこうあるべき!であるとか、
子供をちゃんとした社会人にしつけなきゃ!
こういったプレッシャーがどんどんどんどん、
溶けてなくなっていくような感覚だった。
その要因はなんだったのであろうか?
これはあくまでも自身の見解であるが、
行動のハードルを下げていると感じた。
「できそうなことから始めればいい」
こんなニュアンスの言葉を発信すること
プラスして
こんなやり方もありますよ~
こんな考え方もありますよ~
とアドバイスする時の事例が、身近で、しかも、
多くの人が簡単に始められるであろう事例だったのだ。
これだったら、私にもできる!!やってみよう。
こんな些細なことでも良い効果が得られるんだ!!
と前向きに希望を持って取り組める、
そんな事例だったのだ。
自身同様、帰る時の参加者様の表情が、
和やかに感じられたのは、自身だけだろうか?
自身も、
例えば自身が発信する情報であるとか、
講座、講演に登壇するとき、
その発信する目的にもよるとは思うが、
こういったやり方もあるということは大変学びになった。
最後までお読みいただきありがとうございます。
2022年12月4日