光り輝き続けるために✨

うつからのキセキ☆

【両方を観る】

【両方を観る】

本田健さんのYouTubを拝見して、

自身の中の「偏り」に気付かされた。

というか、その偏りには気付いていて、

違和感を感じてはいたのだが、

その違和感が何なのか?の答えが、

その動画の中に入っていたといった方が、

事実に近いかもしれない。

 

私は、人を観る時に、その人の

良い所、ポジティブな所、

ばかりを観る癖がある。

理由は2つある。

1つ目が、中学生の時の体験だ。

同じクラスのKちゃんからNちゃんの

悪い所ばかり聞かされていた。

先入観で、Nちゃんとは距離を置いていた。

しかし、席替えで同じ班になり、

Nちゃんと話す機会が増えたことで、

Nちゃんの良い所を沢山知ることができ仲良くなった。

その時の体験が非常に印象に残っていて、

「人の良い所に目を向けると、

コミュニケーションとりやすい」というのが、

自身の信念になっていた。

 

2つ目は、単純な理由。

良い所だけ見ていれば気が楽だからだ。

しかし昨今、自身が、

自分の嫌いな所、ネガティブな所を

受容すればするほど、人には

ポジティブもネガティブも存在するのに、

ポジティブばかり見ていていいのか?

というモヤモヤが心の中にあった。

 

そのモヤモヤに光がさした。

本田健さんは、

「相手の良い所悪い所同時に見る」

とのこと。

人には

ポジティブな面、ネガティブな面が必ず存在するのだから、

両方を見てあげることがフェアだというのだ。

 

確かに!

 

両方を見たうえで、

この人は、

ポジティブよりに物事を考えたり捉えたりする人、

この人は、

ネガティブよりに物事を考えたり捉えたりする人、

というのも見て、接し方も変えているとのこと。

例えば、

ネガティブよりな人にきつめなことを言うとすぐにへこんでしまうし、

逆に、

ポジティブよりな人にはちょっときつめに言わないと気付いてもらえない

ということだ。

 

このお話を聴いた時に、

過去にあったTさんとの出来事を想い出した。

 

私は、Tさんのポジティブな面しか見ていなかった。

人当たりが良くて、冗談が上手くて、

周囲への気配りが良くできて、頭が良くて・・・などなど

そんなTさんに、私が何気に言った言葉に対し、

Tさんが突然怒り出した。

私はただ単純に質問しただけだったのだが、

その質問が、責められていると捉えられてしまったのだ。

 

もし、私が、最初からTさんのポジティブな面だけではなく、

ネガティブな面もちゃんと観るようにしていたら、

Tさんには、繊細な所があって、ネガティブに捉えるところもある

ということに早くから気付くことができたかもしれない。

それにより質問の仕方も変えることができたのかもしれない。

 

相手の両方を見ることの大切さが

理解できるきっかけとなる動画であった。

 

動画は、下記タイトルのものです。

よろしかったらご覧ください。

 

 

2021年11月6日

 

【Q&Aまとめ10】本田健の「立体話法」30分Q&A Vol.10「自分の幸せを見つける方法」本田健の人生相談 ~Dear Ken~ | KEN HONDA |

【非効率的なようで効率的】

【非効率的なようで効率的】

10月17日に自身が担当する講座の登壇が終わり、

次の12月5日の登壇に向けての

準備を進めなければならない。

2018年に一般社団法人MindLabo

(旧一般社団法人日本セルフマネジメント開発協会)

の公認インストラクターになり、

何度か登壇させてもらっているが、

登壇前は、

やらなければならない準備に意識が行きすぎて、

それが、心と体に重さとなって

のしかかっていたんだなーと言うことに気が付いた。

その重さが、活力を低下させたり、

スピードを減速させていたのかもしれない。

 

何故それに気が付いたか?

 

TODOも大事だが、TODOの前に、

自身の内側を調えることの重要性を実感することができたからだ。

内側を調えることが大切なのは、頭ではわかっていたし、

(それを伝えるインストラクターでもあるので💦)

実際に体感していることも日常などではあったが、

登壇前のプレッシャーに対する、

心身の調え方は、プレッシャーが大きすぎるのもあって、

本当の意味で理解できていなかった。

ついつい、TODOばかりに意識が行ってしまっていた。

 

しかし、今回は、

2回目の登壇までに少し期間が空いていたことと、

自身の内側にある課題と向き合ってからでないと、

次回の登壇でまた同じ失敗をするなと思ったので、

TODOに関しては何もしない期間を設けてみた。

 

まずは、自身の内側にある課題と向き合うための

エネルギーチャージ!!

自分を満たすアイテムをいくつか実行。

いつもの登壇前だったら自分に対して許可が出せない、

時間が掛かること、

一人カラオケ、ドライブ、長めのウオーキングなど、

もやって、心も体も満たされた感覚あり。

と同時に、

自分の中のネガティブにも向き合う意欲が湧いてきた。

そして、実際に向き合い、

自分なりの答えも出て、心が軽くなった。

 

心が軽くなったら、

いつもは、

やらなきゃ、やらなきゃ、

とプレッシャーで苦しいのに、

何となくそのプレッシャーも

軽く感じられている自分がいる。

 

TODOを何もしていない期間に、

TODOが進んでいないから、

すごく非効率的で、

遠回りしているのではないか?!と

正直不安にもなったが、

やらなきゃ、やらなきゃというプレッシャーで重くなり、

やり始めるまでの葛藤の時間とエネルギー消耗が無い分、

かえって効率的にことが運んでいるように想う。

 

まとめ

TODOに取り掛かる前に、(取り掛かっている最中も)

まずは、自分の心身をクリアーにしておくこと。

そのためには、自分を満たし、

必要なエネルギーを蓄えることも大切であるということ。

それが遠回りのようで、

結果的に効率よく運ぶことに繋がることもある。

 

2021年11月5日

 

【感謝されたい】

【感謝されたい】

先週、数日にわたり、

自分の中にある承認欲求と向き合い、

・すごいと想われたい

・目立ちたい

とう欲求がある自分に気が付いた。

 

最初はそんな自分が恥ずかしくて、

そんな自分を、

見たくないし、受け入れたくないし、

で正直苦しかった。

でも、このブログで公表させていただいたこともあって、

だいぶ受け入れられるようになってきた。

 

例えば、

あーまた今目立ちたい自分出てきたよね~

ハイテンションになってるよ~

どーどーどーどー(←馬をなだめる時に使う言葉)

とか、

まー、この状況だったら、

目立ちたい自分そのまま目立たせておいてもいいか

とか、

自分を客観視できるようになってきた。

自分を客観視できるようになると、

無意識に働く、

「何とかしてダメな自分を隠さなきゃ」

という所にエネルギーを使わずにすみ、

すごく楽だな~と感じる。

 

この、楽だな~が何となく心地よくて、

今、自分の中にある承認欲求受け入れモードになっている(笑)

 

先日、こんなことがあった。

本来Aさんが、やらなければならない片付けがあった。

しかし、Aさんは、お客さんの相手をしなくてはならない。

次にその場所を使う人もいるから、

率先して私がその場を片付けておいた。

お客さんの相手が終わり、落ち着いた様子のAさん。

片付けのことはすっかり忘れているのかなんなのか、

ありがとうの一つもない。

ちょっとイライラしている自分。

 

待てよ。

今、自分「ありがとうの一つもない」と言うことに

腹を立てていたよな~。

ありがとうを期待していたよな~。

感謝されたい。

承認欲求か?!!!

 

過去を振り返ってみると。

あるある。

人にものをあげた時、ありがとうも言わず、

「ラッキー」みたいな感じで受け取る人に腹を立てたり、

自分の時間を割いて、

その人の手伝いをしたのに、ありがとうが無かったり。

わー自分めっちゃ、ありがとう欲している。

 

忘れたころに、Aさんが、

「そういえば、片付けありがとうございました。

お礼言うの忘れてました。」と言ってきてくれた。

その一言で、私のイライラはスーっとなった。

 

今回のことで、

感謝されたい、

ありがとうって言ってほしい。

そんな自分の存在に気付くことができた。

そこに良い悪いはなく、

そういう自分もいるんだな、

ただただあるがままに受け入れようと想う。

 

2021年11月4日

【熟読したくなる本】

【熟読したくなる本】

ジェリー・ミンチントン著(弓場隆訳)

「心の持ち方」という本に今、はまっている。

この本は、マイメンターでもある

一般社団法人MindLaboの代表が

受講者さん、社団メンバーに

勧めてくださった本だ。

 

本が届き、目次を見た時、

あー多分これ、私がはまるやつだ。

と直観が働いた。

何故なら、

第1章のタイトルが「自分を大切にする」

だったからだ。

今まで読んだ自己啓発本の中に、

「自分を大切にする」

「自尊心を育む」

「自分を満たす」

というようなワードが入っているものは、

大抵、涙して読んでいたし、

しかも、それがトップに書かれている本となると、

「ここから入る本良いよね~!!」と

それだけで、テンションが上がるのも理由の一つだ。

 

直観は当たった。

6章の構成で、92個の心の持ち方が書かれているこの本。

最初の4~5項目くらいを、パラパラと読んだ。

涙が出てきた。

私が、生涯をかけて、自身が学び、理解を深め、

学びながらその大切さも伝えていきたい、

と想ってきた又は想う内容が、数多く書かれていたからだ。

それが、1項目2ページで簡潔にまとめられており、

文章としては大変わかりやすい。

しかし、深ーいところで理解したい!となると話は別で、

一気に読んでしまうのがもったいなく、

毎日、1項目づつ、大事に大事に読んでいる。

読むだけでは物足りず、ノートに文章を書き写してもいる。

書き写していると不思議と心穏やかになり、集中もでき、

(写経に近いかも(笑))

自分を満たすアイテムの仲間入りとなるという

副産物まで頂いた。

 

一気に沢山の情報を得るであるとか、

ストーリーを早く知りたい!!という理由から

速読できたらいいのに!!と想う本が、

自身の中で結構沢山ある中で、

じっくり時間をかけて読みたい!!と

想う本もあるんだなということに気が付くと同時に、

自身の日々が充実したものとなるアイテムにもなっていることにも

気付かされ、

本当にありがたい一冊だ。

 

 

2021年11月3日

【感謝日記のパワー】

【感謝日記のパワー】

毎日行っているルーティンワークが負担となり

「もーいいやー!!」と、一旦、放棄。

10日間ほど、お休みした。

 

お休みしてみて、わかったことがある。

これだけは、

やめてはいけないルーティンワークがあることだ!!

 

答えはもうお分かりだと想う。

今日の、ブログの表題ともなっている、

「感謝日記」だ。

 

一日を振り返り、

自分以外の人への感謝の気持ちを書いている。

(自分へのねぎらい、感謝は別な紙に書いているので・・・)

 

会社に行っている日は、

ほとんど職場の人への感謝の気持ちとなるのだが、

例えばある日の感謝日記はこんな感じだ。

 

○○さん、共感してくれてありがとう。

○○さん、わからないこと正直に聴いてきてくれてありがとう。

○○さん、いつも優しく接してくれてありがとう。

○○さん、仕事がスムーズに進むように協力してくれてありがとう。

○○さん、今日もかわいい笑顔をありがとう。

○○さん、気付きをありがとう。

 

休日は、感謝の対象が、

両親、子供、マイメンター、学友、お店の店員さん・・・etc

になる。

 

文字にするとほんの150文字程度。

これを、再開してみて、改めて、

大きく3つのことに影響していることに気が付いた。

 

①心穏やかになる

ネガティブな感情を味わい、ちょっとダーク気分だったが、

書いているうちに心がふわっと温かくなり、

ネガティブな感情を引き起こすきっかけとなった相手にさえ、

感謝の気持ちが湧いてくる。

 

②やる気がでる

ご飯も食べて、そのまま寝たい気分でもあったが、

流されず、自分のためになる時間をつくれたこと。

 

③独りよがりを客観視できる

自分は自分だけで生きているんじゃない。

と心の奥でじーんとなること。

ついつい独りよがりになってしまう自身には、

この「じーん」となることが重要なのだと考察する。

 

たった150文字のパワー。

やってない時と、

やっている時の差は歴然だ。

 

2021年11月2日

 

【ルーティンワーク再構築】

【ルーティンワーク再構築】

毎日のルーティンワークが、

物理的にも、心理的にも圧迫していたようだ。

 

「もー。いい!!」となって、

ここ10日ほど、

ルーティンワークをやらずにいた。

(やらない!!と決めてもこのブログのように、

自然と毎日やっていることもあったが、、、)

 

やらないでわかったことがある。

やはり、ルーティンワークは自身は必要だということ。

何故か?

やらないとなんか寂しいなと想うことがあったり、

体がなまるなーと感じたり、

自分がやりたい事だけ、やりたい時に、

やりたいように過ごすのも時にはいいかもしれないが、

それが続くと充実感が得られないであったり、

自己成長が感じられにくかったりもある。

 

しかし、

「もー。いい!!」となったからには、

そうなったなりの理由があるわけで、

それをしっかり見つめなおして、

やり方、ルールを変えていく必要があると考える。

 

何故、「もー。いい!!」となったのか?

 

一日に全部、こなすのが困難になったからだ。

かつ、前の日にこなせなかったワーク、

その前の日にこなせなかったワークも、

どんどんたまっていき、こなしきれなくなったからだ。

休みの日にまとめてやろうと想っても、

やる気がある時は、

溜まったワークをこなすこともできるのだが、

用事があったり、体調が悪かったり、

今日は気分転換にドライブに行きたい!!

となったりすると、溜まったワークを消化しきれない。

それが、心理的ストレスとなり、

「もー。いい!!」となったのだ。

 

自分を満たすことが目的だったはずなのに、

本末転倒とはこのことだ。

 

こうならないために、

どう再開していったらいいか?

 

①目的を明確にする

目的を見失わないように、

それこそ、目的を確認することをルーティンワークに入れる。

 

②内容を精査する

マイメンターや、本・YouTubで得た情報の中で、

これいい!!これやってみよう!!

と想ったものをワークに付け加えていったら、

いつの間にか、ワークの量が11個になっていた。

1~2分ほどでできるワークもあれば、

30分~1時間かかるワークもある。

本当に毎日やる必要があるか?

やめてもいいワークはないか?

この機会にきちんと精査したい。

そして、新しいことを取り入れるときも、

その分減らすワークは無いかを

考える必要もありそうだ。

 

③ルールを緩和する

残業や体調不良などで全部できない時もある。

思いっきり遊びたい時だってある。

今までの全部やる、

全部できなかったことは持ち越しても全部やる、

というルールだとストレスになるので、

それは廃止。

ただ、やらないことが当たり前になっても

それはそれで自分のためにならないので、

バランスをみながら、

自分にあった適度なルールを作っていきたい。

 

2021年11月1日

 

 

 

 

【不器用な私から学んでほしい】

【不器用な私から学んでほしい】

今、もうすぐ19歳になる次男が、

ちょっとした壁にぶち当たっている。

物理的な壁というよりは、

自分自身の内側の壁だ。

言い換えれば、

彼自身の課題であるとも言えよう。

 

彼の、プライバシーもあるので、

その課題がどういう課題なのか、

詳しいことを書くのはやめておくが、

「自己肯定感」にも

関わってくることだなと思った。

 

作家の本田健さんが

YouTubeの中でおっしゃっていたが、

例えば、

パートナーシップのことを生業としていきたい!

と決めたとたん、その人自身が離婚することになったり、

お金のことを生業としていきたい!

と決めたとたん、家族がリストラされたり、

人生、何故かそういうことが起きるのだそうだ。

 

私にも来た!そう想った。

 

これは、健さんがおっしゃっていたことではないが、

私はそれを「宙からのお試し」と想っている。

それと、

うつだったために、子育てに大きな後悔がある私に対し、

子育ても終盤に来た今、

子供と関わることができるチャンスが与えられた。

そうとも想っている。

 

次男は今年の春から専門学校生として、独り暮らしを始めた。

コロナの流行もあり、3月に別れてから1度も会っていない。

LINEやTELで時々こちらから「どう?」と連絡を取り、

様子を伺う程度である。

今回、次男が壁にぶち当たっているということを

何故知ったのか?

実は本人から直接聞いたのではない。

別なところから入ってきた情報で、

こんなことになっていたのか!!と驚いたのである。

 

TElして本人に聴いてみた。

話を聴くにつれ、なんとなくだが、

彼の抱える根本原因が見えてきた。

 

本人も言っていたが、

それは事柄が違うだけで、

高校の時から引きづっている、

彼自身の課題が引き起こしている事象だというのだ。

 

でも、その課題の根本原因がわからないため、

似たような壁にぶち当たって、

どうしていいかわからずもがいている。

そう観えた。

 

そんな彼に、私は自信をもって一つだけ言えることがあった。

気付けば大丈夫!!ということだ。

 

「君が言う通り、高校の時から引きづっている課題が、

事象を変えて現れているだけだと思うよ。

うすうす気づいていると思うけど、

その課題をクリアしない限り、例え環境を変えたとしても、

似たような事象が起きてくるんだよ。

ママは、40代前半まで、幾度となくそれを繰り返し、

病気にまでなった。

ママのこと見てきたからわかるでしょ?

まだ10代じゃん!!全然大丈夫だよ。

っていうかこれからだよ。

気付けば変えられるから。」と。

 

彼は、彼の課題は高校の時からと言っているが、

恐らくもっと前からだと想う。

そして、その原因の一つは、

母親である私にも大きくある。

私こそ、ここで

母としての課題、

母としての役割、

としっかり向き合っていかねばならない時なのかもしれない。

 

2021年10月31日