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うつからのキセキ☆

【わからないことに意識を向ける】

【わからないことに意識を向ける】

「わからないこと」がわからないまま、

やり過ごすというのは、

自己成長の妨げになったり、

知識を広げられなかったり、

相手との会話がかみ合わなかったり、

とデメリットが多いんだなーと言うことに気が付いた。

 

その1つのきっかけとなったのは、

初めて訪れた病院での医師との会話。

「かかりつけの病院はありますか?」

という医師の質問に、

「ここ1年くらいの間に2~3回行ったことがある病院があります。」

と答えた私。

その答えで医師は、

この人は、「かかりつけの病院」という

言葉の意味がわかってないんだろうな。

と察してくださったのだろう。

質問をこう変えてくださった。

「例えば月1回とか定期的に継続して受診している病院は無いですか?」

と。

そこで、私も気が付いた。

私は、「かかりつけの病院」という言葉の意味を理解していないのに、

(要するに、医師の質問の意味がわかってないのに、)

わからないまま、質問に答えていたことに!!

だから、へんてこりんな答えをしてしまったのだ。

 

その時の会話を後から振り返り、

あの時の自分の心境ってどうだったんだろう。

と考えてみた。

あの時一瞬、質問に対して答えにくさを感じた自分がいた。

その答えにくさが「かかりつけの病院」て何?

という自分の中での疑問だったのだと想う。

あの時私が医師に返す言葉は、

「かかりつけの病院って何ですか?」など、

わからないから教えてください的な言葉であった方が、

会話がスマートであったと想う。

 

では、何故、「わからないから教えてください」が

言えなかったのだろう。

自分の中の、「カッコつけ」「八方美人」が表出したのだ。

「かかりつけの病院」という、

わりとよく聞く言葉の意味を知らない自分を見せたくない。

そんな自分を隠したい。

だから、「かかりつけの病院って何ですか?」が言えなかったのだ。

(結果、直ぐに、「この人知らないんだな」と見抜かれるような

しょぼい取り繕い方で、かえってはずかしい自分を見せる

結果となってしまったのだが(笑))

 

そもそも、何故「わからないこと」が「はずかしいこと」

と思っているのだろう。

「そんなことも知らないの?」と

思われたくないというマインドであったり、

そんなことも知らない自分を、

「バカだと思われたらどうしよう。」

という不安であったり、

そういったものが「わからないことは恥ずかしいことだ」

という信念に紐づいているのかもしれない。

 

今の自分に何が必要か?

 

自己受容と考える。

 

自分のことを頭が良いと想ってる、想いたい自分を認めよう!

そして実際は、そんなに頭良くない自分をいい加減認めよう!

皆が知ってそうなこと、皆が知ってることを、

知らないことが結構多い自分認めよう!

カッコつけたい自分、頭良く見せたい自分の存在を認めよう!

上記の自分が全部自分の中に存在するんだよ~。

その存在を、認めただけでもちょっと気持ちが軽くならない?

私は頭が悪い!!きっとIQも低い!!それが私じゃん!!

 

そしてふとこんな思いがよぎる。

そんな私が、インストラクターやってていいの?って

どこかで想っていなかった?

どう観ても、代表はじめ、他のメンバーより頭が悪い自分を、

取り繕って、頭良く見せようと想っていなかった?

 

よーく考えたら、それって代表に対して失礼だったよなって想う。

だって代表は、頭が良い人を公認インストラクターに

選出しているわけではないから。

現に私が、合格しているということは、代表が観ている、

合格ラインはIQではない。ということは明らかだ。

だとしたら、頭良く見せようって想ってる自分必要?

そろそろ手放さない?

答えはYES

 

ふと、1つの仮説が浮かぶ。

わからないことが恥ずかしいと想っているから、

「わからない」自分と出会うのが怖くて、

自分が何がわからないかを知ることに意識が行かなくなり、

わからないことがわからないままのことが多いのではないか?

だから、どこを理解したら良いのか?とか、

どういうことをもっと学べばいいのか?とか、

が定まらなかったのではないか?

私の理解度の遅さの原因にもなっていたのかなと・・・。

 

最後までお読みいただきありがとうございます。

 

2022年5月27日