【集団の中での生き方】
~現在の職場で学んだこと~
自身は集団で生きることが苦手だった。
思春期のころ、クラスメイト全員の前で、
自身の意見を先生から全否定され、
気を失いそうになるくらい恥ずかしい思いをしたことが、
その大きな原因だったと想うのだが、
(もちろん、そもそもの自分の気質もあったと想うのだが)
自分は人と変わっている、自分の意見は受け入れられない。
と思い込むようになり、
自分の意見に自信が持てず、
自分の本当の気持ちを隠すようになり、
いつしかそれが習慣化され自分の中の当たり前になって行った。
だから、集団の中に居ると、自分の本音は言わず、
周囲に合わせること、協調性を大事にすること、
相手の意見をきくことばかりしていたから、
疲れ方が半端なかったのだ。
「疲れ方が半端なかった」というのは、
当時の自身を振り返ってみて、
今、集団にいることで疲れている感じがしない自分だからわかることで、
当時の自分は、
自身に精神的なストレスが溜まっていること、
疲れの原因がなんであるかということ、
そういうことがわかっていなかった。
単に肉体的な疲れだけだと想っていた。
自身は来年の春、8年弱勤めた会社をやめることにし、
その旨も会社に伝えた。
いろいろと考えるところがあっての退職なのだが、
なぜか、自分の中でこの職場を「卒業する」という
言葉がしっくりくる感じがしていた。
その理由がわかる文章と遭遇した。
最近はまっている、
池田貴将編訳「覚悟の磨き方 超訳吉田松陰」サンクチュアリ出版
に書かれていた文章だ。
「友」の章の№145
「集団の中で生きる」というタイトルで以下のような文章が書かれていた。
清廉。どんな人といても、自分を失わない。
協調。どんな人といても、その人に調子を合わせて楽しめる。
この清廉と協調というのはバランスが難しいものです。
清廉でいようとすれば、世界が広がらないし、
協調ばかりしていると、自分を見失いやすい。
どっちがいいのでしょうか。
正解はありません。
もしなにかを学ぼうとするなら、
清廉でも協調でも、自分の生き方に近い人物や本から
学べばいいと思います。
ただめざしてほしいのは、
他人の考えを尊重し認めながらも、
自分の考えは周囲に流されず、はっきりと述べることができる、
そういう生き方です。
そういう生き方ができれば、
そこが今あなたにとって、居心地の悪い場所だったとしても、
やがて心ある人物を味方につけることができるはずです。
池田貴将編訳「覚悟の磨き方 超訳吉田松陰」サンクチュアリ出版より
自身のそれまでの生き方は、
協調ばかりして、まさに自分を見失っていた生き方だった。
しかし、マイメンターと出会い、コーチングを受けたり、
自分でもコーチングを学び実践する中で、
自己肯定感があがり、
自分の意見を言うことを恥ずかしいと思わなくなり、
他人の考えを尊重し認め合いながらも(他者尊重)、
自分の考えも伝えられるようになった。
そういう生き方ができるようになったから、
当初、自分の意見を言えなくて(言わなくて)
精神的ストレスで居心地の悪さを感じていた自身が、
心ある人物を味方につけることができ、
職場に行くのが楽しい!とまでになったのだ。
同じ職場に行くのにこの差は大きい。
自身は、上記の文章を読んで、
集団の中での生き方をこの8年間で学んだんだな~と想った。
それを習得したから、
この職場を「卒業する」タイミングに来たんだな~と感じた。
吉田松陰が言う、清廉と協調のバランス。
自身の言葉にすると、
自分らしさと社会性のバランスだと考える。
吉田松陰がおっしゃる通り、そのバランスをとるのは難しい。
しかし、
バランスを取る意識をそもそも持っていないとバランスをとれないし、
そのバランスをとるコツもだいぶ掴めている感じだ。
これは自身にとってかなり大きなスキルであると考える。
バランスを取るための必須アイテムとして、
自己肯定感があることは重要だ。
最後までお読みいただきありがとうございます。
2022年12月26日