【肯定的に捉えることの幸せ】
~「幸せ」と感じるものの大きな一つ~
皆さんは、
「幸せだな」と感じる時は
どんな時だろうか?
どんな場所だろうか?
誰といるときだろうか?
何をしているときだろうか?
それは何故だろうか?
どのように感じるのだろうか?
そもそも、「幸せだな」と感じることはあるだろうか?
昔の自身は少なかった。
特に、うつの時は皆無と言っていいくらいだった。
やさしい家族にも恵まれ、
衣食住には不自由せず、
ほんとうだったら「幸せ」をいっぱい感じられてもいいはずなのに、
そのことを頭でもわかっているのに、
実際のところ、生き辛くて、苦しくて、毎日毎日へとへとだった。
今から想うと、大切な命をすり減らして生きていた、
そんな感覚だ。
そんな私だったのだが、現在は、
些細なことでも幸せを感じられるようになった。
その理由は?と考えた時に、
起きたこと(特にネガティブなこと)を
肯定的に捉えられるようになったことが大きいと考える。
というより、
肯定的に捉えられること自体が幸せだな~と感じる。
ネガティブなことから目を背けていると、
その時は楽かもしれない。
ことによっては、なかなか向き合えないことがあるかもしれない。
でも、頭の片隅、心の片隅のどこかでひっかかっていて、
モヤモヤモヤモヤしている。
恐らくモヤモヤの原因はネガティブな思考や感情である。
ずーっとモヤモヤしているわけでもないし、
すごーく昔のことだったりすると完全に忘れたような気になっているが、
ふとした時、何かアクシデントが起きた時などをきっかけに、
そのモヤモヤが浮上してくるなんてこともある。
その都度、嫌な気持ちになるし、
蓋をしているそのモヤモヤが、
その人の普段の、考え方や、言動に
悪影響を与えていることもあると考える。
(自身はそうだった。)
ネガティブなできごとを受容し、
そのできごとで湧いた感情も受容すると、
ことによっては時間がかかることもあるが、
例えば
「私にとっては必要な経験だったんだ~」とか
「これはこれでよかったのかもしれない」とか、
自然と(無理せずに)肯定的に捉えられるようになる。
そうなると、なんとも言えない幸福感を得るのである。
同じ経験をしても、
肯定的に捉えられるかそうでないかで雲泥の差が出る。
これは自身が身を持って体験したことだ。
ちょっとしたコツさえつかめば、
誰でもできること。
これは、自己否定の塊だった自身だからこそ、
自信を持って言えることである。
最後までお読みいただきありがとうございます。
2022年10月27日