【期待されていることに感謝】
~日常から得た気付きシリーズ~
私は、50歳になるのだが、
職場でも、プライベートでも
「フィードバック」を受ける環境がある。
年下の人は、年上の人に対して、
たとえ、「もっとあーすればいいのに。こうすればいいのに。」
と想ったとしても、言わない人、言えない人がほとんどであろう。
自身もそうだ。
だから、年を重ねれば重ねるほど、
フィードバックしてもらえる機会は、
若い人に比べてだいぶ少ないとは想う。
しかし、私は、機会は減ったとは言え、
フィードバックいただける環境があるというのは、
本当にありがたいと想うのである。
私が、この年齢でも比較的フィードバックを貰えている要因は、
自身が、その人のフィードバックを聞き入れるか、
聞き入れないかは別として、
(自分がマウントを取りたくて言ってくるフィードバックなどもあるので)
一旦はきちんと聞く姿勢と言ってもらったことに対しては感謝の気持ちを
持っているからだと想っていた。
もちろんそれも要因の1つではあると想うのだが、
これは自分の視点からだけの発想であった。
フィードバックしてもらえているのは、
相手が私に期待しているからということがあるらしい。
自身は、職場で部下がいないから、
「期待する」という視点が乏しい。
しかし、よーく考えてみると、
自身の子供には、いくつになっても、
フィードバックやアドバイスをしたくなるし、
自身の子供と同じ年齢位の新入社員の子たちにも、
気になったことは伝えたりしている。
それは、単に子供だからかわいいということではない。
だったら、よそ様のかわいいお子さんにも熱心にアドバイスするだろう。
私が、フィードバック、アドバイス、時には叱りたくなるのは、
相手に期待しているからだ。
私に対してフィードバックしてくださる方は、
私に対して、何らかの期待をしてくれている。
だから、言いたくもない事、言い辛いことも言ってくれている。
そういった観点が無かった。
そう考えると、
自身は、フィードバックを聴いていると想っていたが、
ただ聞いていただけでしっかりその人のフィードバックの意図を、
わかっていなかったと反省している。
そして、気付いてしまったことがある。
期待に応えられることと、こたえられないことがあると・・・。
自身が、何故かわからないけど夢中になれることに関しては、
頑張れは、それを指導してくださる人の期待に応えられそう!!となるのだが、
例えその人の期待にこたえたい!!という想いがあっても、
自分が心から好きになれないものに関しては、
期待に応えられそう!!とはならないのだ。
私は、期待に応えられていない、期待に応えられない自分に気が付いてしまった。
やはり、早いうちに、この状況を変える必要があると考える。
決して、良い悪いではない。
自分にも、相手にも、それがBetterだということだ。
少なくとも、今の状況を続けたならば、
期待してくださっている相手にも失礼だし、
自分にも期待にこたえたくてもこたえられないという罪悪感を抱かせてしまう。
決断と行動の時が来ているようだ。
最後までお読みいただきありがとうございます。
2022年9月28日