【人は本来愛の塊】
【人は本来愛の塊】
人生で2度の出産を経験し、
生まれたての赤ちゃんを観る
という経験をした中で、
人は本来愛の塊なんだな~と
心から想えるようになったのは大きい。
しかし、あのなんとも言えない純粋性、
純真無垢のまま成長するということがないのが人ではないだろうか?
仮に、愛の塊である人の姿が、
光の球体だったとしよう。
(「光の球体」はスピリチュアルカウンセラー並木良和さんふうに例えてみたが、
以下の文章は自身の思想だ。)
人は、生まれたての時は、光の球体そのもので、
きらきら輝く存在である。
しかし、生きていく中で、その光の球体に、
不純物や汚れが付いていく。
それにより、その人本来の放っている光がよどむ、
酷い場合は全く光が観えないくらい厚い汚れておおわれてしまう。
要するに、汚れ具合で、その人の純粋性を表す照度が左右されるということだ。
だから、どれだけ、不純物や汚れを付着させないようにするか?
そうはいってもついてしまった不純物や汚れをどう洗い流すか?
人はここに焦点を当てて生きるべきではないだろうか?
しかし、不純物は不可抗力で付いてしまうものもある。
特に、幼少期~10代ぐらいまではそうでないだろうか?
例えば、なにかの事情で愛に恵まれない環境で育ってしまったとか、
いじめにあってしまったことが原因で心がすさんでしまったとか・・・。
でも、ある程度大人になってくると、
その付いてしまった汚れを自分で何とか落とすことができるし、
なるべく付けないようにすることも出来るようになる。
それにはまず、
本来の自分で在ることに意識を向けるということが大前提となるのだが、
その意識さえあれば、
環境・人間関係・心を整えるなど、経験、知識、学び、行動を通して、
いくらでも、どのようにでも変えられる。
と自身は考える。
一番怖いのが、「本来の自分で在る(愛の塊で在る)」ことの重要性に
気が付いていないと、
ますます、自分自身で、汚れや不純物を自分の輝かしい光に、
塗りたくってしまう可能性がある。
と自身は考える。
自己否定の塊だったかつての自分のように・・・。
最後までお読みいただきありがとうございます。
2022年8月3日