【当たり前を見直す】
【当たり前を見直す】
ある方からこんな問いを投げかけられた。
「あなたにとっての幸せの定義は?」
なんと深い質問であろう。
自身はすぐに答えを見つけることができなかった。
が、先日YouTube動画で観た、
「幸せを探求できることが幸せ」と答えを出してみた。
それも、もちろんそうだし、それも自身の中にはあるのだが、
「あなたにとっての」という所に、ちょっとしっくりこなかった。
モヤっとしている中で、
マイメンターの答えに、
共感と納得感としっくり感が得られたため、
自身の「あなたにとっての幸せの定義は?」
の答えは「幸せを感じられること」にしようと想う。
注)ちょうど音声が聞き取りづらく、
もしかしたらマイメンターは「幸せを感じられること」
と言われてなかったのかもしれないが、
私はそう受け取ったし、自身の中ではしっくりくる言葉だったので、
この言葉を引用しようと想う。
この「幸せを感じられること」という答えが出たと同時に、
最近の自分は「幸せを感じられているだろうか?」という自問に発展した。
うつから解放され、自身が健全と感じられるようになった当初は、
イライラが減って、通院もなくなって、
薬も飲まなくてよくなって、疲れなくなって、
普通の人が普通にしている日々の営みが、
自分も普通にできるようになって、
それだけでも幸せを感じられていたのに、
元気で、健全でいられることが普通にできるようになると、
それに対して「幸せだな」という気持ちが薄らいでいたことに気が付く。
もっと言うと、
「よくあれで生きてたな」という精神状態だった時もあったので、
「あの時命を落とさなくて良かった。生きてるだけで幸せ。」と、
心の底から想えていた時もあったのに、
最近は生きていることが当たり前になって、
生きていることへの幸せを感じるのを忘れていた。
「幸せを感じられていますか?」
定期的に、この質問を投げかける必要性を感じた。
自分が生きていること。
両親が生きていること。
家族がいること。
元気なこと。
衣食住が整っていること。
仕事があること。
信頼できる仲間がいること。
などなど・・・
自分の周りには幸せがいっぱい散らばっているのに、
それを感じてないなんてもったいない。
最後までお読みいただきありがとうございます。
2022年7月10日