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うつからのキセキ☆

【当たり前を見直す】

【当たり前を見直す】

ある方からこんな問いを投げかけられた。

「あなたにとっての幸せの定義は?」

なんと深い質問であろう。

自身はすぐに答えを見つけることができなかった。

が、先日YouTube動画で観た、

脳科学者、茂木健一郎さんの言葉を借り、

「幸せを探求できることが幸せ」と答えを出してみた。

それも、もちろんそうだし、それも自身の中にはあるのだが、

「あなたにとっての」という所に、ちょっとしっくりこなかった。

 

モヤっとしている中で、

マイメンターの答えに、

共感と納得感としっくり感が得られたため、

自身の「あなたにとっての幸せの定義は?」

の答えは「幸せを感じられること」にしようと想う。

注)ちょうど音声が聞き取りづらく、

もしかしたらマイメンターは「幸せを感じられること」

と言われてなかったのかもしれないが、

私はそう受け取ったし、自身の中ではしっくりくる言葉だったので、

この言葉を引用しようと想う。

 

この「幸せを感じられること」という答えが出たと同時に、

最近の自分は「幸せを感じられているだろうか?」という自問に発展した。

うつから解放され、自身が健全と感じられるようになった当初は、

イライラが減って、通院もなくなって、

薬も飲まなくてよくなって、疲れなくなって、

普通の人が普通にしている日々の営みが、

自分も普通にできるようになって、

それだけでも幸せを感じられていたのに、

元気で、健全でいられることが普通にできるようになると、

それに対して「幸せだな」という気持ちが薄らいでいたことに気が付く。

もっと言うと、

「よくあれで生きてたな」という精神状態だった時もあったので、

「あの時命を落とさなくて良かった。生きてるだけで幸せ。」と、

心の底から想えていた時もあったのに、

最近は生きていることが当たり前になって、

生きていることへの幸せを感じるのを忘れていた。

 

「幸せを感じられていますか?」

定期的に、この質問を投げかける必要性を感じた。

自分が生きていること。

両親が生きていること。

家族がいること。

元気なこと。

衣食住が整っていること。

仕事があること。

信頼できる仲間がいること。

などなど・・・

自分の周りには幸せがいっぱい散らばっているのに、

それを感じてないなんてもったいない。

 

最後までお読みいただきありがとうございます。

 

 

2022年7月10日