【相手のせいにしたくなる】
【相手のせいにしたくなる】
ある人と意見が食い違う。
お互いの意見を言って、
これ以上話しても、平行線のままだからと、
相手に言われ、話は打ち切った。
その判断は間違っていなかったと想う。
しかし、不完全燃焼な感じ、もやもや感が残る。
何故か?
相手から、
「頭が固い」とか「言い訳にしか聞こえない」とか
言われたことに憤りを感じている自分がいる。
「頭が固い」のは、確かに自覚がある。
しかし、「頭が固い」とか「言い訳にしか聞こえない」といって、
私の話に耳を傾けようとしない、あなたこそ
「頭固いんじゃない!!」と想う。
それに、「やりたくない言い訳」をしているわけではない!!
そう、捉えているのは「あなたでしょ!!」と言いたくなる。
それが言えなかったからモヤモヤしている。
不完全燃焼を感じている。
今も、感情的になって文章を綴っているので、
恐らく、それを言えば、
かなり険悪なムードになっていたと思われる💦
私は「転ばぬ先の杖」を
あまりに沢山相手に持たせるのはいかがなものか?
という考え方の持ち主だ。
確かに、
相手が困らないように、
大きな失敗をしないように、
リスクヘッジ的考え方は大切だと思う。
しかし、あまりに手厚く、
相手が困らないような環境を作るのが、
はたして本当に相手のためになるのであろうか?
相手が困らないようにしてあげることが目的だと言っていたが、
相手が困ることがそこまで悪いことなのだろうか?
困った時、失敗した時、どうしたら良いか?を
を学ぶための経験をさせなくてもいいのだろうか?
もちろん、最初の一歩を踏み出すための、
基礎知識や、マインドは必要だと思う。
不安のままの一歩は本当に勇気がいるからだ。
でもある程度、最初の一歩が踏み出せそうな、
知識やマインドが得られたら、
とりあえずはじめてみて、困ったことが発生したら、
都度解決していけばいいのではないだろうか?
困ったことが発生した時の、
周りの協力体制であるとか、
困ったらSOSを出しやすい環境を整えておくこととか、
そういうことにエネルギーを注ぐことも大切なのではないだろうか?
むしろ、私はそっちの方にエネルギーを注ぎたい。
なぜなら、経験することが何よりも学びになると考えるからだ。
私はただ、一歩を踏み出す前の準備に、
そこまでエネルギーを注ぐ必要はないのではないか?
と言うことを言いたかっただけだ。
別に、自分がやるのがめんどうなわけではない。
もっと、エネルギーを注ぐところが他にあるのではないか?
議論の焦点がそこではないということを言いたかったのだ。
だが、それを理解してもらえなかった。
自分の伝え方もある。
どう伝えたかも大事だが、
どう伝わったかも本当に大事なんだなと
つくづく感じたのであった。
「やりたくない言い訳をしている」と
いう捉え方をした相手を責めたくなるが、
私の伝え方が悪かったというか、
自分の考えもまとまっていなかったから、
最後まで上手く伝えることができなかった、
と反省している。
伝える力、学ばねばな。
最後までお読みいただきありがとうございます。
2022年6月3日