【1人で居るからといって】
【1人で居るからといって】
誰もいない空間で1人で居るときって、
相手にどう想われるか気にするでもなく、
誰かの目を気にするでもなく、
何をしていても誰かにとがめられることも無いので、
自分らしく過ごせていると想っていた。
確かに、
誰からも嫌われたくない、
カッコ悪い自分を見せたくない、
という想いを手放しきれていない自身にとっては、
そういった想いが発動しないだけでも、
自分らしく居られやすい環境ではある。
しかし気付いてしまった。
1人で居る時、自分をとがめている存在を・・・。
もう一人の自分だ。
「そんな時間の過ごし方でいいのか!!」
「そんなことにどれだけ時間をかけているんだ!!」
「何で、そんなにできないんだ!!」
「ほんとにダメな奴だな!!」
と、
自分が理想とする時間の過ごし方をしていない自分や、
自分の想像以上にやることに時間がかかったり、
できない自分をとがめているのだ。
こんな言葉を浴びせる人が近くにいて、
監視してたら、自分らしくあれるだろうか?
答えはNOだ。
緊張したり萎縮したりしてしまい、
自分らしい状態で居ることは困難であろう。
監視する人が、他者であっても自分であっても、
自分らしくない状態に陥るのは同じではなかろうか?
ここで問題となるのは、
監視してとがめる人がもう一人の自分である場合、
無自覚で自分らしくない状態に陥っていることがあるということだ。
仮に、誰かから、自分の行いをとがめられたとしよう。
でもそれは実際に自分の耳で聞いているので自覚がある。
だから、その人と居ると萎縮している自分にも気付けるし、
気付けたら、距離を置くとか、自分自身をなぐさめるとか、
何らかの手立てが打てる。
しかし、自分の内側で繰り広げられているセルフトークや、
心の状態は、意識していないと、気付けないことがある。
そして、他者のように物理的に距離をおくこともできない。
まずは、気付くこと。常日頃、
自分の心身の状態に意識を向けることを怠らないようにしようと
改めて想うのである。
そして、そもそも、もう一人の自分が何故、
監視者モードになるのか?ということも考えねばならない。
(別途考えよう)
よーく考えると、自己否定の塊だった頃の自分は、
常に、もう一人の自分が監視者モードになっていた。
自分のやることなすことに悪い評価を下し、
とがめたり、ダメ出しをし、
もっと、もっとがんばれとまくし立てていたように想う。
監視者モード発動率100%といっても過言ではない。
あのころの自分と比べ、今は、
無意識下で監視者モードになっていることを考慮しても、
監視者モード発動率は感覚値で30%~40%。
かなり軽減はされていると想うし、
実際、生きることに、喜びと幸せを感じられるようになっている。
自分らしくない状態をどれだけ減らすか?
逆説を考えてみるのも興味深いということを知る。
最後までお読みいただきありがとうございます。
2022年5月20日