【自尊心が命を守る】
【自尊心が命を守る】
私は、自尊心が命を守る要素の一つであると、考えている。
私が、うつ病で苦しかった頃、
朝、目覚めて一番目に頭に浮かぶ言葉が、
「自分の存在を消したい」
「誰も知らないところへ行ってしまいたい」
であった。
無意識に、「死にたい」と口走っている時もあった。
何故か?
当時の私は、一緒に住む家族に対して、
自分が理想とする、母でもない、妻でもない、嫁でもない、
それどころか、イライラして、ネガティブで、
しょっちゅう具合が悪くて・・・。
そんな私は悪の根源だと想っていた。
こんな自分はいない方が家族のためだという考えを根本に持っていた。
そんな私の生きる支えは「自尊心」だった、
と今振り返ると想う。
自己否定の塊のような人間であった当時の私が、
何故「自尊心」を感じることができたのか?
両親から「無条件の愛」を貰っていたからだ。
うつ病当時、
実家に近い精神科に通っていたため、
通院の日は必ず実家に顔を出していたこともあり、
両親は、私の状態を定期的に観ていた。
自分が親の立場であれば、
自分の子供が精神的に病んでいるなんて、
心配で心配でたまらないと想う。
しかし、両親は、
イライラしたり、落ち込んだりして、
ときには暴言を吐いたり、
ネガティブなことばかり口にする私を
責めたりもせず、ただただ見守っていてくれた。
孫を1日中外へ連れ出してくれた時もあった。
毎日毎日、体がだるくて、
疲れやすい私にはどれだけ助けとなったか!
両親だけは、どんなに最低な私でも、
責めたりせず、ただただ受け入れてくれるんだな、
という実感があった。
こんな私でも、両親にだけは愛される存在であるのだと・・・。
(別に、同居の家族から責められていたというわけでもないし、
愛情を受けていなかったわけでもない。
むしろ愛情をかけてもらっていた。がしかし、
そもそも、自分自身が同居の家族に対して、
自分のことを悪の根源だと思い込んでいたので、
その愛をまっすぐに感じ取れなかったんだなと、
だいぶ後になって気付く。)
自らの手で遠く遠くに追いやっていた自尊心を、
両親の愛の力によって、自分の近くの観えるところまで、
引き寄せてもらっていたそんな感覚だ。
両親だけはこんな私でも
死んだら悲しむんだろうなと確信していた。
だから、親孝行はできなくても、
せめて、両親を悲しませることはしたくない、
そんな想いだけでなんとか命をつなぎとめていた。
私は、両親が健在で、
無条件の愛を感じることができた。
しかし、両親がいない場合だってあるし、
両親がいたとしても、
無条件の愛を貰えるとも限らない。
私は、幸運だった。
私が生きていることは当たり前ではない。
人には寿命というものがある。
だから、私もいつまでも両親からの
無条件を貰えるということはない。
いつまでも自分と一緒にいられるのは誰か?
そう、他でもない自分自身だ。
自分の自尊心を守れるのも自分自身である。
最後までお読みいただきありがとうございます。
2022年5月13日