【優劣主義が顔を出す】
【優劣主義が顔を出す】
マインドの勉強をしているせいか、
人のEQ(←心の知能指数、感情調整能力と言われている)の
高低に意識が行く。
そして、自分の中で、その人に対する、
EQの高い低いが判断される。
単に高い低いだけで済めばいいのだが、
高いから良い、低いからダメというジャッジが
そこに入っていることに気付かされる出来事が起きた。
以前私は、IQ(知能指数)が高いか?低いか?に興味があった。
IQが高いか低いかは、わりと判断が楽だ。
可視化、数値化されやすいからだ。
出身校であるとか、仕事の理解度、理解の速さなどで、
ある程度判断できる。
優劣主義の塊だった頃の私は、
IQが高い人のことをめちゃくちゃすごい!!と想っていて、
自分よりかなりIQが高い人と話をする時は、
緊張して上手く話ができなかった。
今ならわかるが、自分がバカだと想われるのが怖かったのだと想う。
しかし、今は、自分より明らかにIQが高い人と話をしても、緊張しない。
相手がIQが高いか低いかと言うことにも意識が行っていない。
たまーに出身校の話題になって、
あーそういえばSさんは誰もが知る〇〇大学出身だったな~
と時々思い出す程度だ。
もちろん、Sさんが、自分が頭が良い事をあからさまに
アピールしたりするような人でないことも大きいが、
それに関わらず、IQの高い低いにあまりこだわりを持たず、
人と接することができるようになったことは確かだ。
しかし、EQについては違っていたんだなと
思わされる出来事があった。
そのできごとによって、
明らかにEQが低い人に対して、
軽蔑している自分の存在を実感したのだ。
よくよーく考えると、かつてIQが高い人のことをめちゃくちゃすごい!!
と想っていたのと同じように、EQが高い人のことをめちゃくちゃすごい!!
と想っている自分がいる。
すごい!!の想いが強すぎると、低い人のことを極端にダメ!!と
軽蔑してしまうのではないか?と想う。
EQが高いから良い、低いからダメ。
この思い込みは手放す必要がある。
どんな考え方をしたらいいだろうか?
①人にはそれぞれ学びの段階がある。
小学1年生と大学生に良い悪いがあるか? ➡ ない。
それぞれの段階において、学んでいる内容が違うだけのことだ。
人の人生にも段階があって、
それぞれどの学年にいるか?それだけの違いだ。
そして、それは年齢で区切られるものでもない。
若くてもめちゃくちゃEQが高い人もいるし、
人生経験豊富であろう年齢の人でもEQが低い人がいる。
②EQが低い!と相手を軽蔑した時点で、自分のEQも下がる。そもそも低い。
そもそも、EQが高い人というのは人を軽蔑なんてしない。
明らかに私の方がEQが低くても、対等に扱ってくれるし、
私のEQを引き上げてくれる感じさえある。
上下を意識した時点で、自分のEQが下がる。そもそも低い。
としっかり心得ようと想う。
③自分が学べることはないか?
相手のどういう部分がEQが低いと感じるのか?を明確にし、
自分の中に、その要素が隠れているのではないか?という問いを持つ。
人は、自分を映し出す鏡だから、かなりの確率であるはず。
自分を高めるチャンスと想いしっかり向き合う。
こんな、策を考えてみた。
最後までお読みいただきありがとうございます。
2022年4月11日