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うつからのキセキ☆

【優劣主義が顔を出す】

【優劣主義が顔を出す】

マインドの勉強をしているせいか、

人のEQ(←心の知能指数、感情調整能力と言われている)の

高低に意識が行く。

そして、自分の中で、その人に対する、

EQの高い低いが判断される。

単に高い低いだけで済めばいいのだが、

高いから良い、低いからダメというジャッジが

そこに入っていることに気付かされる出来事が起きた。

 

以前私は、IQ(知能指数)が高いか?低いか?に興味があった。

IQが高いか低いかは、わりと判断が楽だ。

可視化、数値化されやすいからだ。

出身校であるとか、仕事の理解度、理解の速さなどで、

ある程度判断できる。

優劣主義の塊だった頃の私は、

IQが高い人のことをめちゃくちゃすごい!!と想っていて、

自分よりかなりIQが高い人と話をする時は、

緊張して上手く話ができなかった。

今ならわかるが、自分がバカだと想われるのが怖かったのだと想う。

しかし、今は、自分より明らかにIQが高い人と話をしても、緊張しない。

相手がIQが高いか低いかと言うことにも意識が行っていない。

たまーに出身校の話題になって、

あーそういえばSさんは誰もが知る〇〇大学出身だったな~

と時々思い出す程度だ。

もちろん、Sさんが、自分が頭が良い事をあからさまに

アピールしたりするような人でないことも大きいが、

それに関わらず、IQの高い低いにあまりこだわりを持たず、

人と接することができるようになったことは確かだ。

 

しかし、EQについては違っていたんだなと

思わされる出来事があった。

そのできごとによって、

明らかにEQが低い人に対して、

軽蔑している自分の存在を実感したのだ。

よくよーく考えると、かつてIQが高い人のことをめちゃくちゃすごい!!

と想っていたのと同じように、EQが高い人のことをめちゃくちゃすごい!!

と想っている自分がいる。

すごい!!の想いが強すぎると、低い人のことを極端にダメ!!と

軽蔑してしまうのではないか?と想う。

 

EQが高いから良い、低いからダメ。

この思い込みは手放す必要がある。

 

どんな考え方をしたらいいだろうか?

 

①人にはそれぞれ学びの段階がある。

小学1年生と大学生に良い悪いがあるか? ➡ ない。

それぞれの段階において、学んでいる内容が違うだけのことだ。

人の人生にも段階があって、

それぞれどの学年にいるか?それだけの違いだ。

そして、それは年齢で区切られるものでもない。

若くてもめちゃくちゃEQが高い人もいるし、

人生経験豊富であろう年齢の人でもEQが低い人がいる。

 

②EQが低い!と相手を軽蔑した時点で、自分のEQも下がる。そもそも低い。

そもそも、EQが高い人というのは人を軽蔑なんてしない。

明らかに私の方がEQが低くても、対等に扱ってくれるし、

私のEQを引き上げてくれる感じさえある。

上下を意識した時点で、自分のEQが下がる。そもそも低い。

としっかり心得ようと想う。

 

③自分が学べることはないか?

相手のどういう部分がEQが低いと感じるのか?を明確にし、

自分の中に、その要素が隠れているのではないか?という問いを持つ。

人は、自分を映し出す鏡だから、かなりの確率であるはず。

自分を高めるチャンスと想いしっかり向き合う。

 

こんな、策を考えてみた。

 

最後までお読みいただきありがとうございます。

 

2022年4月11日