【怒りの奥にみえた感情】
【怒りの奥にみえた感情】
私は今、
という本を熟読している。
熟読の理由は、
私が公認インストラクターとして所属している、
一般社団法人MindLaboの勉強会で、
本で得た知識を提供する機会があるからだ。
この本を選んだ理由は、
自身が担当させてもらっている、
「自己肯定感」をテーマとした講座に
活かせる内容であると感じたからだ。
この本の中で、印象に残っている文章の1つに以下がある。
「誰かを許さないことで、自己を肯定したい、自分の正しさを認めてもらいたいという欲求の裏返しにも見えます。」
この文章は、文字を太字にして強調されている文章ではなかったのだが、
自身にとっては、引っかかる文章であった。
私は、「あいさつしない人」に怒りを感じる。
と同時に軽蔑もしている。
自分の中に、
「あいさつすることは当たり前。
あいさつすることが正しい。」
という信念があるからだ。
この「怒り」を「許せない」に変換して、
上記の中野信子さんの文章にあてはめてみた。
そして、ハッとする。
私は、あいさつしない人を許さない(怒りを感じる)ことで、
無意識に自己肯定感を高めようとしていたのか?!!
自分の正しさを認めたい欲求を満たそうとしていたのか?!!
このことに気が付いた時、自分に対して虚しさを感じた。
他人への怒り、他人を許せない想い、他人への軽蔑で、
自分の自己肯定感や、欲求を満たそうとしていたなんて・・・。
そんなことをしても、真の自己肯定感は満たされない。
それは、今までの経験や、マイメンターや、本の中から、
沢山学んできたことではないか!
私は、
「あいさつすることは当たり前。
あいさつすることが正しい。」
という信念を曲げるつもりはない。
何故なら、
あいさつするのも、されるのも気持ちいいし、
逆に、
あいさつしないのも、されないのも気分が悪い。
場合によっては、非常に傷つくこともあるからだ。
私は、今後も、
気持ちのよいあいさつができる人で在りたい。
しかし、この信念を「周囲の人もそうあるべき」
と考えるのはやめようと想う。
実際にあいさつしない人、(できない人?)は
世の中に案外いるものだし、
もしかしたら自分だって、
無意識に挨拶を失念してしまっていることもあるかもしれない。
何より、怒りの奥にある虚しさを自分に感じさせたくない。
最後までお読みいただきありがとうございます。
2022年2月22日