【いい人を手放すと1つ視点が上がる?】
【いい人を手放すと1つ視点が上がる?】
昨日の投稿で、「いい人」を手放す行動ができた。
と記載したが、
自分がいい人を手放そうとすればするほど、
自分がいい人を手放す努力をすればするほど、
他者の「いい人」ぶり、
自身の過去も現在も含めての「いい人」ぶり、
その「いい人」を都合よく使う人の行為が
観えてくるようになった。
今までは、自分が
都合のいい人、
外面のいい人、
一見いい人(おせっかいな人)、
をどれだけやっているか?を
真剣に自己認知しようとしていなかったから、
ほとんど観えていなかったのだと想う。
そこに、意識が向くようになって、
雲が晴れた空の上から、観察できるようになった、
例えるならそんな感じであろうか?
相手もいることなので、具体的なことは書けないが、
例えば、
都合のいい人をやっていると、
誰かの都合のいい人になっている人から、
都合よく使われる。
と言うことが、観えてきた。
これは、私が、ある物事を手放したことから気付いたことだ。
誰かの都合のいい人になっている人を仮にAさんとしよう。
私が、無意識で都合のいい人をやっていたのと同じように、
Aさんは誰かの都合のいい人になっていることに気付いていない。
私がAさんがBさんに都合よく使われてるな~
と気付いたのも、「いい人とは?」を意識し始めてからだ。
そのAさんから私も都合よく使われていた
という驚愕の事実が浮かびあがる。
しかも、お互いが無意識なのが怖い。
自分が都合のいい人だということを認識していない人は、
無意識に、誰かを都合よく使っている。
自覚がないのだから、無意識にそうなってしまうのも
ある意味当然と言えば当然のような気もする。
ということは、私も、
無意識に誰かを都合よく使っているかもしれない。
使ってきたかもしれない。
正直、このことに目を向けるのは怖いが、
自分が誰かを都合よく使っていないか?
ここにも意識を向けてみたい。
ここに意識を向けることで、また更に、
「いい人」を手放す糸口が見いだせるかもしれない。
最後までお読みいただきありがとうございます。
2022年2月16日