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【完璧主義な自分を肯定できた過程】

【完璧主義な自分を肯定できた過程】

「完璧主義」という言葉を聴いて、

どういう印象を皆さんは持つだろうか?

現在私は、

完璧主義が良い悪いとかいう感覚は無いし、

ポジティブ面も、ネガティブ面も

バランスよく観れている感覚だ。

 

昨日の投稿で、

自身には「極端な思考」の癖がある。

とお伝えしたが、

極端な思考を極端では無くした

(統合というものかもしれない)

ことも中にはある。

その一例が「完璧主義」だ。

 

以前の私は、「完璧主義」という言葉は、

否定の言葉、ネガティブな言葉、と捉えていた。

何故、そう捉えていたのか?

恐らくだが、

細部にまでこだわってしまう私に対して、

「物事はそう完璧に進まないよ!!」

みたいなことをよく周囲から言われてきたことや、

世の中の傾向としても、

柔軟な考え方が良くて、

柔軟な考え方の妨げになっているのが

完璧主義!みたいな、

どちらかと言うと悪者的な扱いであったことが、

原因であったと想う。

だから、完璧主義の人は、

嫌われる、めんどくさい人と想われると

思い込んでいた。

今はだいぶ改善してきたが、

当時、他人から嫌われたくない!

めんどくさい人と想われたくない!

という気持ち(ニーズ)がめちゃくちゃ強かった私は、

言うまでもなく、完璧主義な自分を自己否定していた。

 

だが、完璧主義に喜ばしいメリットがあるということに

気が付かされたことにより、

デメリットも含めて完璧主義な自分を、

肯定できるようになったのだ。

 

喜ばしいメリットとは何か?

あることを完璧に行ったことで、

他者の役に立ち、喜んでもらえたこと。

そして、信頼を得たことだ。

 

そのあることとは、

地区のPTAで支部長をやった時のデータを完璧にし、

後の人に引き継いだということだ。

下の子が小学6年生の時、

地区のPTA支部長という役がまわってきた。

地域柄というのも大きいのかもしれないが、

1年間、行事行事、会議会議に追われる大役だ。

年間で行う行事というのは、毎年決まっている。

毎年引き継ぎの資料があるのだが、

過去の資料を見て、だいたい同じようにやっていくのが習わしだ。

しかし、その資料が、更新されていなかったり、

情報に不足があったり、

いくつかの資料を見ないと読み解けなかったりと、

やりづらい点がいくつかあった。

自分が見てわかりやすい資料を!という目的もあったが、

そうは言っても支部長は1年だけなので、

その資料は自分にはあってもなくてもどちらでもよかった。

しかし、来年以降の支部長さんにはきちんとまとまった資料が

あった方が良いよなと想い、

いつどこで、来客は誰で、どこでどんなものを買って準備して、

ということを、抜けが無いようにまとめて資料を作り、

後の人に引き継いだ。

 

それから5年くらい経ったある時である。

久しぶりに、ご近所のお母さんにお会いした。

その方がこんなことを教えてくださった。

「今、私、支部の役員をやっているんですけど、

山本さんが残してくれた資料が一番わかりやすくて、

いまだに活用させてもらってるんですよ~。」と。

どうやら、5年間ずっと私の残した資料が

地区のPTAの役に立って喜ばれていたらしい。

 

完璧主義はデメリットも確かにある。

こだわりすぎて、周りが見えなくなってしまったり、

周囲と摩擦が生じたり、

柔軟な考え方ができなくなったり。と・・・。

しかし、人に喜ばれるメリットもあると知れた時、

完璧主義もまんざら捨ててもんじゃないなと

想えるようになっていた。

 

メリット、デメリット、

両方を見ることの大切さを学んだ一例でもある。

 

2021年11月24日