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うつからのキセキ☆

【無条件の愛は命を救う】

【無条件の愛は命を救う】

私は、小学校低学年くらいから10代後半まで、

両親から相手にされてないし、

愛されていないと思っていた。

 

両親は共働きで、わたしは鍵っ子。

いつもさみしかった。

自分がやりたい習い事は想うように

やらせてもらえなかった。

家族でいろんなところに行きたかったのに、

ほとんど旅行に行ったことがなかった。

 

私の願いややりたい事は

聞き入れてもらえない、

理解もされない、

期待もされてない。

と想っていた。

 

高校3年生になるとき、

進学コース、就職コースを

選択しなければならなかった。

本当は進学したかったけど、

親が「女の子は高校を卒業していればいい」的な考えが強かったし、

「どうせ私なんて期待もされてないし、、、」と想っていたので、

投げやりな気持ちで就職コースを選んだ。

 

しかし、いざ就活となると、

「やっぱり進学したい!」という気持ちが出てきた。

就職コースにいたが、

親に頼み込んで頼み込んで、

短大に進学することに変更した。

私立の短大で、しかも県外。

お金もかかるし、移動の時間もかかる。

でも進学することに決まってからは、

両親は私のことを

全面的にバックアップしてくれた。

 

就職して、仕事が苦しくて、

抑うつ状態に陥った時も、

ずっと見守っていてくれた。

 

私の結婚式の時、父は号泣だった。

父親が泣いた姿は初めて見た。

 

私にも子供ができ、

子供を育てることの責任や

生活を成り立たせること考えたら、

共働きで一生懸命育ててくれたこと、

当たり前ではないことが身に染みた。

 

孫のこともすごくかわいがってくれた。

 

これが愛でなかったらなんであろうか。

 

30代前半、私はうつ病が再発した。

鬱状態がひどいときは、

「自分の存在を消したい」と

毎日毎日想っていた。

「死にたい」が口癖になっていた。

 

そんな時、いつも頭に浮かんだのが両親の顔だった。

こんな私でも、両親だけは私がいなくなったら、

悲しむどころの話ではないと確信があった。

「こんな私じゃ親孝行なんてできない。

でもせめて親不孝だけはしたくない!」

この想いがあったからこそ生きることができた。

 

当時を振り返り、

もし、両親が健在でなかったらどうなっていたか?

今でも想うことがある。

 

2020年11月23日