光り輝き続けるために✨

うつからのキセキ☆

【心の状態を知る方法】

【心の状態を知る方法】

自身が務める会社には、

社員育成委員会があり、

メンター制度や、社内教育制度などを

運営、促進している。

 

新卒社員や、若い中途入社社員には、

メンターが就くのだが、

定期的に、メンターメンティー面談をしてもらう。

先日、その時に使用する、

メンタリングシート(面談用の記入用紙)に改善を入れた。

理由は、記入しやすくするため。

メンタリングシートの記入は主にメンターがするのだが、

メンティーの気持ちを聴き取って文章に表現するのは、

案外難しく、高度。

メンターも社員。プロではない。

だから、メンターにとって記入が負担にならないように、

委員会で、改善策を考えたのだ。

その結果採用されたのが、

「心の状態をお天気で表現すること」

晴れ、晴れ&曇り、曇り、雨の

4つのマークを記載し、

ここ数日の心の状態がどれに当たるか選択してもらう。

そして、晴れの状態でいられるには、どうしたら良いか?

を考えて記入してもらうという、欄を設けた。

 

これが、非常に良いと私は観ている。

先ず、自分の心の状態って案外自覚していない。

だから、「心の状態」を考えるきっかけになるということ自体が、

良いことだと思っている。

でも、「心の状態は?」と突然聞かれてたとしても、

言葉に詰まってしまうと想う。

しかし、「心の状態を天気で表すとしたら?」という問いであれば、

子供でも答えられるのではないだろうか?

(実際、小学校で取り入れられている手法でもあるらしい。)

答えてみたことで、自分の心の状態を改めて自覚する。

自覚することで、「何故、晴れやかだったのかな?」

「何故、曇っていたんだろう?」ということが考えられる。

原因がわかったところで、

「じゃあ、晴れやかに過ごすためにどうしたらいいか?」と

言うことを考えると、

ここの所、心が晴れていたのなら、その要因を持続したり、

より上手くいくような方法が思い浮かびやすいだろうし、

ここの所、心が曇っていたのなら、その原因を取り除いたり、

楽しめることを意識的に増やすという方法などが思い浮かびやすだろう。

 

ふと、自身の毎日の日課に取り入れてみようと考えた。

4択なら時間もかからないし、続けられそう。

「心の状態を自覚する」ただそれだけでも、

自分自身への対応の仕方にプラスの作用を与えるきっかけにもなる。

 

最後までお読みいただきありがとうございます。

 

2022年5月11日

【他己紹介での気付き】

他己紹介での気付き】

誠実に、前向きに頑張っている、

仲間のことを紹介したくて、SNS投稿を試みた。

何故紹介したくなったか?

きっかけは、

自身が公認インストラクターとして所属する

一般社団法人MindLaboの勉強会で、

すごく前向きに取り組んでいる彼女に対し、

心揺さぶられ、その想いを表現したくなったのだ。

彼女は、社団では一番の若手。

昨年、インストラクターデビューしたばかりのルーキーだ。

 

そんな彼女との出会いは7年前だった。

マイメンターで社団代表がチーフ講師を勤める、
県主催の就労支援セミナーに参加したことがきっかけだった。
就活仲間から始まり、マイメンターから学ぶ学友となり、
そして今は、MindLaboのチームメンバーとして活動を共にしている。
7年間彼女とお付き合いさせてもらっている中で、
彼女の良い所はいっぱいいっぱい見てきた。
そして、尊敬するところも沢山ある。
それを、羅列するということも考えたが、
彼女に彼女のことを紹介するという許可を取っていない。
それに、良い所ばかり羅列するというのも、
本当のことを書いたとしても、
並べすぎるとかえって信憑性がなくなる可能性もある。
あくまで、私が想う、彼女の印象、お人柄を
伝えるスタンスでなければならないなと考えた。
7年間、彼女とご一緒した時のことなどを思い返し、
やっぱり一番はこれを伝えたいなと言うことだけに絞って、
お伝えした。
彼女に許可を取っていないので、
個人情報が乗ってしまうような、
具体的なエピソード話なども添えず、
短い文章でまとめた。
文章は短いが、恐らく1時間はデスクに向かっていたように想う。
(あまりに集中していたので、時間感覚が掴めていないが、
もしかしたらそれ以上時間が過ぎていたかもしれない。)
その文章を読み返して想ったこと。
 
わたし、めちゃくちゃ、彼女のこと好きじゃん!!💕
 
もちろん、今までも彼女のことは好きだった。
しかし、自分が想っていた以上に、
彼女のことが大好きな自分に気付いた。
 
彼女は、当たり前のように、ごく自然な感じで、
周りに気配りができる人なのだが、
もしかしたら、それに慣れ過ぎてしまっていた
自分がいたのかもしれない。
だから、今回、改めて彼女との関係性を振り返る中で、
こんなこともしてもらったな、
あんなこともしてもらったな、と
感謝の気持ちが湧き上がり、
今まで彼女からしていただいていた、
優しさや思いやりが、「大好き」という形になって
現れてきたのだと想う。
 
改めて、彼女に感謝するとともに、
彼女以外の人に対しても、
やってもらって当たり前になっていないか?
振り返りを怠らないようにしようと、反省するのであった。
 
最後までお読みいただきありがとうございます。
 
2022年5月10日
 

 

 

【寂しさ】

【寂しさ】

2人の息子がそれぞれ1人暮らしを始め、

1年以上が経過した。

息子達と一緒に生活しないことに慣れ、

日常生活に息子達がいない寂しさは感じなくなった。

長期連休の時など帰省して会い、

またそれぞれの場所へ戻って行ってしまう時の

言いようのない寂しさも、

だんだん慣れて行っていると想っていた。

しかしそれはどうも違っていたようだ。

 

このGWは二人とも、

用事があって帰省しないとのこと。

ただ、その中でも、

フリーな日が数日あるということなので、

私の方から会いに行くことにした。

 

5月2日次男に会いに行った。

せっかく会いに行くのだから、

できるだけ長い時間会っていたいと想い、

始発の高速バスで行き、朝から20時ぐらいまで、

まるまる1日を次男と2人だけで過ごした。

次男が中学生の頃、

1度だけ2人で名古屋に行ったことがあったが、

セミナー参加が目的だったので、

2人きりでまるまる1日を過ごすという経験は初めてだった。

 

19歳の次男。

私が行きたい!やりたい!という

リクエストに全て応えてくれた。

もちろん、そもそもの要望である、

できるだけ混んでいなさそうなところ、

移動時間をできるだけ削減したい

ということも加味しながらだ。

そして行った先でも、

「わ~。ここめっちゃ景色良いじゃん!!」

「わ~。ここめっちゃ清々しい空気だね。」

「わ~。ここのカフェおしゃれじゃない!!素敵!」

「わ~。これめっちゃおいしいね~。」

いちいち、いちいち子供のようにはしゃぎまくる私に、

穏やかに、

「そうだね~。」「きれいだね。」

「落ち着くね。」「おししいね~。」

と返してくれる息子。

 

今までの人生の中で、1番楽しかったんじゃないか?

と想えるくらい楽しい1日を過ごすとができた。

 

別れの時間が近づいてきてだんだん悲しくなってきた。

いつも、寂しい雰囲気で別れるから、

この「楽しかった~」という感情のままで別れたい。

そう思い、涙をこらえ、無理に笑顔を作っていた。

しかし、次男が、

「今日は、会いに来てくれてありがとう。」

とややかしこまり気味に、言ってくれた。

その言葉で、涙腺が緩み、

「泣きそうだから、行くね。」と

そそくさとバスの待合所を後にした。

 

帰りのバスの中では、

その日に行った場所、楽しかったことを思い返しながら帰った。

今思い返すと、「寂しさ」の度合いが半端ないことをうすうす察知し、

言いようのない寂しさを感じないようにするために、

楽しさばかりにフォーカスしたのではないかと、

あの時の自分のことを考える。

 

あの日から、1週間が経とうというのに、

あの日の思い出に浸っている自分がいる。

きっと「寂しさ」をしっかり、

感じさせてあげていないから、

しっかり泣いてあげてないからかな?とも思う。

ちょっと無理して、「寂しくない」って想おうとしていたのかな?

 

寂しさを感じるのは辛いけど、

心のどこかが満たされない感じもなんか気持ちいいものでもない。

ちゃんと寂しい気持ちを認めてあげよう。

 

しかし、何故家族、特に子供となると、

感情の度合いが強くなるのであろう?

「楽しい」という感情もそうだし、

「寂しい」という感情もそうだ。

 

そこでふと、

山本芳久著「世界は善に満ちている」

トマス・アクィナス哲学講義(新潮選書)

に書かれていたことを想い出す。

 

全ての感情の根源に愛がある。

 

こういうことなのかもしれない。

 

最後までお読みいただきありがとうございます。

 

2022年5月9日

 

 

【嘘をつくことへの罪悪感】

【嘘をつくことへの罪悪感】

見栄をはったり、自分の保身のために、

しょーもない嘘をつく人が嫌いだ。

嘘をつくのはその人の特性だから仕方がないとしよう。

しかし、せめて、

そのしょーもない嘘をつき通してくれればいいと想う。

それは、後からぼろが出たり、

嘘だったということがわかったりしたとき、

イラっとするからだ。

 

しかし、よーく考えると、

そのしょうもない嘘のために、

私が何か被害を被ったわけでもない時でも、

別にそんなの放っておいても何の問題の無い時でも、

イラっとしたり、腹を立てている自分がいることに気付いた。

相手の言動に対してイラっとしているのは自分であって、

その原因を相手のせいだから何とかしてほしいなんて、

まさにアウトサイドイン的考え方ではないか!!!

 

何故、しょうもない嘘に対してイラっとする自分の存在に気付いたか?

自分がしょーもない嘘をついてしまい、

それに対してモヤモヤしている自分に気付き、

何故モヤモヤしているのか?

内省していくうちに気が付いたのだ。

 

自分が自分を良く見せるために、

しょーもない嘘をついてしまった。

別にその嘘は、本当にしょーもなくて、

私の内側だけのことだから、敢えてばらす必要もないし、

心の中にしまっておきさえすればばれることもない。

もし、ばれたとしても、ほんとしょーもないことなので、

誰かが被害を被ることではない。

しかし、とっさについてしまった嘘

(言い訳をすると100%嘘と言うことでもない嘘)

に対して、めちゃくちゃ罪悪感を感じている自分、

自分のことを許せない自分がいる。

モヤモヤの原因は罪悪感と自責の念だ。

この気持ちがあるってことは、

きっと他人に対しても許せないんだろうな~?

と考えたことがきっかけで、

上記のような自分の思考パターンに気が付いた。

 

そこで、

しょーもない嘘をついてしまった自分への罪悪感を手放せばならない。

と考えた。

 

時には、嘘つきたくなってしまうことだってある。

そんな自分も許容してあげよう。

信用を失うほど、嘘をつきまくるのは、

自分を傷つけることにもなるから良くないけど、

100%真実を言わなきゃいけないなんてことないんじゃない?

その嘘がばれた時、相手が傷ついたり、被害に遭わなければ、

ちょっとくらい多めに観てあげようよ。

だって世の中にはついて良い嘘だってあるじゃん。

例えば、誕生日サプライズで家族を喜ばすために、

その瞬間までその準備のために嘘をつき通すことだってあるじゃん。

時には、隠したり、

嘘をついて相手が知らない方が幸せだっていうことだってあるじゃん。

嘘つく自分をそんなに毛嫌いしないであげて。

 

そもそも、何故嘘をつくことへここまで罪悪感があるのだろうか?

おそらく、小さい頃から

「嘘をついてはいけない」という教育を受けてきたからだと想う。

その教育は間違っていないと想う。

しかし、単に、「嘘をついてはいけない」ということだけを伝えるのは

小学生位までの子供までで、

知能が発達してきたら、

「嘘をついてはいけない」理由とか、

ついていい嘘もあるとか、

時には嘘をつかなければならないこともあるとか、

嘘にも色々な種類や、

時と場合があるということも学ぶ必要があるのではないかと

ふと思った。

 

最後までお読みいただきありがとうございます。

 

2022年5月8日

【経験を積むために必要なもの】

【経験を積むために必要なもの】

何事も経験が必要経験が大事

という言葉を耳にすることってないですか?

 

単に、年を重ねたからなのか?

経験が大事だということを

身を持って体感したからなのか?

私もこの意見には大賛成だ。

 

何故、経験が必要なのか?

➡自己成長

何故、自己成長が必要なのか?

➡喜びを感じるから

何故、喜びを感じるが良いのか?

➡心が穏やかになるから

何故、心が穏やかになると良いのか?

➡一人一人の心の平和が世界平和に繋がるから

 

経験には、例えば、天気であるとか、他人の言動であるとか、

自分ではどうしようもできない経験がある。

その中には、辛い経験、苦しい経験もあるかもしれない。

それはそれで、大切な経験だし、どう捉えるかで、

自己成長に大きくつなげることも出来る。

 

しかし、自分が意図してする経験は、

どんな経験を自分にさせるか?

を自分で自由に決めることができるので、

ある意味チャンスでもあり、自己責任ともなる。

 

自分が意図して自分にさせてあげる経験をするのに、

どんなことを意識するがよいか?

質の良い経験を、できるだけ沢山させてあげること。

と自身は考える。

 

質の良い経験とは?

自分が心地よいと感じるであろう経験全般

 

その経験をしたことで、

楽しかったな~。嬉しかったな~。

為になったな~。安らいだな~。

やればできるじゃんと想えたな~。

など、経験した後、プラスな感情を

確実に得られるもの。

かなりの確率で得られるもの。

をさせてあげることが質の良い経験と考える。

 

ここで注意しなければいけないのが、

過去に経験したことがなく、

不安や恐れが障害になって、

尻込みしてしまうようなことを

経験させるかさせないかの選択だ。

 

例えば、未経験のことでも、

明らかにこれやったら自分も周囲も傷つくな!ということ

(犯罪など)はそもそもやる気も無いし、

もし選択肢に入ってしまったとしても、

「やらない!!」という答えをすぐに出すのは簡単だ。

しかし、経験した後のプラスな感情を想像はできるが、

未経験なので、確実に得られるかどうかはわからないという時の選択。

経験をできるだけ沢山させるということであれば、

経験させる選択をとるのがBetterだということは頭では解っている。

しかし、その一歩が踏み出せない。

そんな時必要なのは、

自己受容という土台。

 

例えば、初めての経験で、

ダメな自分、できない自分が発覚してしまっても、

それを受け入れる自己受容という土台が整っていると、

「失敗しても大丈夫、また受け入れればいい。」

そういう考えが持てる。

そこで、とりあえずやってみる。

という選択をすることが増えていく。

 

やっていくなかでも、

自己受容の土台が整っていると、

こういうことは自分は苦手、

こういうことは自分はできない、

ということが受容できているので、

下手にカッコつけたりしないで、

できないことはそれが得意な人に頼むなど

だんだんと実現の要領を得ていく。

その経験自体は初めてのことであっても、

カッコつけずやってみるという経験を大なり小なり繰り返していると、

「まいっか、何とかなる。」と想える自分、

すなわち自己信頼が出来上がっていく。

 

経験を積むために必要なもの

自己受容からの自己信頼

 

最後までお読みいただきありがとうございます。

 

2022年5月7日

【環境は変わっていないのに】

【環境は変わっていないのに】

長かったGW休暇も終わり、久しぶりの出勤だった。

GWめちゃくちゃ楽しめたので、

会社に行くのが憂鬱かと思いきや、

うきうきしている自分がいる。

久しぶりの職場が楽しみなのである♪

べつに、楽しまなきゃ!!とか意図的に

意識しているのではなく、

本当に、自分の内側から湧き出てくるうきうき感。

人って、変われば変わるもんだよな~と

つくづく思う。

 

以前の私だったら、会社に行くのが楽しみ(^^)/

なんて、100%想わなかった。

今の会社に入って、最初の数年も楽しみ(^^)/

なんて思っていなかった。

だが、気が付くと会社に行くのが楽しみになっている自分がいる。

別に、

仕事内容が激変したわけでもないし、

部署移動があったわけでもないし、

中途、新卒、素敵な子たちが入社してきてくれたのはあるけど、

職場の顔ぶれもほとんど変わっていない。

変わったのは自分だ。

 

世間からは立派な社会人という見られ方をする年齢での中途入社。

当時は、必死に、ちゃんとした社会人を演じようとした。

しかし、演じようとすればするほど、

行動がぎくしゃくしたり、

なかなか職場の人とも打ち解けることができず、

エネルギーを消耗するばかり。

疲れるから、会社に行きたくなくなるのもわかる。

そんな私だったのだが、今現在は、

自分を演じることにエネルギーを消耗することが激減したし、

職場の人とも、ナチュラルな会話ができるようになったり、

「できないから助けて」「わかんないから教えて」と言えるようになったことで、

人間関係のストレスを感じることもかなり減った。

むしろ、コミュニケーションとるのが楽しい(^-^)と

想える人が大半になった。

 

ちゃんとした人を演じようとしなくなった、

ちゃんとした人を演じなくていいと想えるようになった要因。

それは、自己受容

そもそも、自分はそんなにちゃんとした人間ではない。

立派な社会人でもない。

ドジで、ちょっと抜けてて、不器用で、

そんな面もいっぱい持っている。

そんな自分を無理に隠そうとするから苦しくなる。

それに気付いて、地道に、自己受容してきたから、今の自分が在る。

 

自己受容と簡単に言っても、昔の自分は、

ダメな自分を直視するのが本当に苦手だったから、

結構そこは頑張った。

今でも、ダメな自分を受け入れれば受け入れるほど、

自己成長するし、物事が上手くいくということがわかっていながら、

それでも目を背けたくなるようなダメな自分を直視して、

受け入れるのは大変な時もある。

 

でも頑張って観る。認める。受け入れる。

大切な自分を、より大切と想えるようにするために。

大切な自分を、より大切な存在として扱えるようにするために。

 

最後までお読みいただきありがとうございます。

 

2022年5月6日

【楽しめた要因】

【楽しめた要因】

このGWは「とにかく楽しもう!!」と決めた。

何をどう楽しむか?!

やりたいことが沢山ありすぎて、

わっくわくの気分でGWがスタートした。

 

昨年のGWは引っ越しでバタバタしていた。

それに比べたら、今年のGWはかなり時間に余裕がある。

ありがたいことに、臨時収入もあった。

積極的に楽しいことをやる条件はそろっている。

 

優先して、自分が「楽しい!!」と

感じるであろうことを予定に入れてやっていった。

昔の私だったら、

こんなに楽しい事ばかりやっていていいのか?

こんなことに時間とお金を費やしていいのか?

など、罪悪感や不安にかられ、純粋に楽しめていなかった。

自分が「楽しい!」と想えるであろうことをやっても、

純粋に「楽しい!」と想えなかった、「楽しみ下手」だった私が、

今回のGWではかなりの割合で、

楽しいことを楽しい!!と感じることができた。

 

その要因は、GW初日に、「とにかく楽しむ!」と

強く強く心に決めたことであったと想う。

楽しむと決めると、「楽しむ」ということに意識が行く。

そして、積極的に自分を楽しませようという気持ちになる。

だから、まずは自分がこれやったら絶対喜ぶよね!!楽しいよね!!

と想うことを優先的に予定にいれた。

特に予定がない時も、「楽しいか?」「楽しくないか?」を

判断基準にするように意識がいったり、

お仕事や、家のことなど、やらなければならないことも、

できるだけ気分が良い状態の時に、気分良くできる環境の中でやるなど、

心掛けるようになった。

正直、昔のように、

こんなに楽しい事ばかりやっていていいのか?

こんなことに時間とお金を費やしていいのか?

という問いが自分の中に湧いてきて、不安や罪悪感を抱いたこともあった。

しかし、そういう感情が湧いてきたら、

30秒ルール(←マイメンターからアドバイスを受けた負の感情を30秒以内に手放すというルール)で、「負の感情よ、さようなら~!!」と意識の中で思いっきり手を振ってバイバイし、手放す努力をした。

 

楽しいことをやっている時も、

楽しい!!と感じられるように、

できるだけその時をその瞬間を大切にするようにした。

目の前にいる人との会話を大切にしたり、

おいしものを味わって食べたり飲んだり。

そして、ちょっとオーバーリアクション気味だったかもしれないが、

できるだけ、楽しい、嬉しい、美味しい、ありがとう、

そういった気持ちを、言葉や態度に表現するようにした。

 

ちょっと苦手なことや、

正直、やりたくないことも、

楽しい!!とまではならなかったが、

環境を変えたり、いつもとは違う方法を試してみるなど、

工夫したことで、ちょっと気分が上がったり(^-^)

 

楽しめた要因は案外シンプル。

楽しむ!!と強く強く心に決める。

 

最後までお読みいただきありがとうございます。

 

 

2022年5月5日